『盛實海翔(専修大学3年)が特別指定選手してサンロッカーズ渋谷に入団』というニュースが流れたのは昨年の12月25日だった。大学バスケットに詳しいファンなら「おお、やったな盛實、ついにプロチームに呼ばれたか!」と、膝を打ったかもしれない。高確率の3ポイントシュートを武器とするサウスポーシューター。同時に味方を生かす絶妙なアシストパスにも定評があり、昨年のインカレでは専修大を準優勝に牽引したエースとして敢闘賞、3ポイント王、アシスト王に輝いた。見る者を魅了する独特のバスケットセンスから付いた呼び名は『モリザネセクシー』。なんとも斬新な色っぽいネーミングだが、それはあくまでコート上の盛實。長いインタビューに答える謙虚で誠実な青年にはセクシーよりも“爽やか”という言葉が似合った。
「中2のときはマネジャーもやってました」
── 盛實さんは埼玉県出身ですよね。バスケットはいつごろから始めたのですか?
生まれ育ったのは埼玉県の上尾市です。バスケを始めたのは小3の途中ぐらいかな。幼稚園から小学校にかけてサッカーと水泳をやってたんですが、4つ上の兄が中学でバスケ部に入ったのをきっかけに自分もバスケクラブに入りました。もともと父もバスケをやってたのでその影響もあったと思います。始めたときからバスケはすごく楽しくて、サッカーよりおもしろかった(笑)。当時は身長も低い方で、足も速くない…っていうか、むしろ遅い方。体力もそれほどあるとは言えませんでしたが、バスケを始めた年の校内マラソン大会で1位になったんですよ。バスケのおかげで持久力が付いたんだと思います。バスケは大好きで、シュート練習も楽しくて、中学でも絶対続けようと決めていました。
── 進んだ上尾市立大石中学は全中(全国中学生バスケットボール大会)で優勝しましたね。
はい、僕が2年生のときです。主力の3年生には長谷川暢さん(能代工→早稲田大→秋田ノーザンハピネッツ)がいました。自分は活躍しませんでしたけど(笑)
── えっ、主力の1人ではなかった?
僕が2年のときは試合に出るメンバーはほぼほぼ決まっていて、自分の学年からも何人かはメンバー入りしていましたが、僕は選ばれていませんでした。それどころかマネジャーを兼任してたんですよ。顧問の先生から『おまえは周りがよく見えていて気が利くし、字も上手いからマネジャーをやれ』と言われて。
── 周りがよく見えて、気が利いて、字が上手い。これって、ある意味、褒められてますよね。
ハハハハハ。まあそのときは先生も半分冗談っぽく言ってたので。
── それにしても盛實選手がマネジャー出身とは!
ただマネジャーといっても普段は選手として普通に練習に参加してるんですよ。試合があるときだけマネジャーになってスコアを付けたり、ボトルを準備したりしてました。同期で試合に出てるヤツもいるわけですから、それを思うとやっぱりちょっと悔しい気持ちはありましたね。
── そのころはそれほどパッとしない選手だった?
そうですね、パッとしてませんでした(笑)。そのころの僕はすごく身体が細かったんです。ただ自分を見てくれるトレーナーさんがいて、徐々に身体ができていったというか。で、そのトレーナーさんが「もうそろそろイケるかもしれない」って先生に言ってくれたみたいで、最後の県大会で使ってもらえたんです。そこで結構活躍することができたことが次につながりました。やっと出番が回ってきたというか、ベンチの端でスコアを付けるんじゃなくてコートに出られるのはすごくうれしかったです(笑)