他大学との試合でそれを埋められるのではないか。そんな意見も出てきそうだが、岡田からすれば、それをするには日本の大学バスケット界はあまりに試合数が少なすぎた。
練習で得られず、試合でも得られそうにないなら、いっそのことプロの道に進むのもいいのではないか。引退後のことを思えば、他大学への転入を考えたこともあったが、「自分が通用しないくらいの世界に行って、そういうところで揉まれてみたいという気持ちがあったし、他の大学に行ってもたぶん自分では満足しなかったと思う」と、すぐにその考えは消えた。
両親の次に相談したのは、岡田が「今の自分のバスケットを築いた」と認める東山高校の恩師、田中幸信と大澤徹也だった。
「田中先生は反対かなという感じはありましたけど、大澤先生は僕を『プロ向き』と言ってくださって、『お前、勉強してんのか?』って言われたときに、すぐに『してます』って言えなかったんですよね。『じゃあ、自分の本当の気持ちを池さん(池内泰明・拓殖大学ヘッドコーチ)に伝えて、池さんの判断を仰げばいいんじゃないか』って言われました。ただ喧嘩別れはできないですし、それは親とも話して絶対に避けたかったので、池さんに相談することにしました」
結果は池内ヘッドコーチが岡田の希望を尊重し、三河を推薦したことでも明らかだ。
自分の考えをじっくりと巡らせ、親や恩師、そして大学のヘッドコーチにも相談をしたうえでのプロ入り。思いつきの行動ではない。しかし岡田はその決断を「わがまま」だとも認めている。
「わがままといえばわがままですよね。周りからは拓大を関東2部リーグに落としたんだから、1部リーグに昇格させてからプロに行ってもいいんじゃないかという意見もありました。でもプロでの現役生活は期間が限られているので、1年1年をどれだけ大事にするかを強く考えたんです。そんなわがままを聞いてくれた池さんは本当にいい人です」
そう言って岡田は少しだけうつむき、寂しそうな顔をした。それくらい岡田にとって大学を中退し、プロの道に進むという決断は簡単ではなかったのである。
part2に続く
【プロとしてファンを楽しませる】
文 三上太
写真 安井麻実