大学を辞め、プロの世界へ
2018年11月15日、突然のニュースに驚かされた。拓殖大学2年(当時)の岡田侑大がB.LEAGUEのシーホース三河に入団すると発表されたのだ。これまでも大学卒業を待たずにB.LEAGUEの舞台に立つ選手はいた。だがいずれも“特別指定選手”として、卒業後に入団することが内定している選手か、下級生であれば大学バスケットのオフシーズンを利用して経験を積む場であった。しかし同じ特別指定選手でも岡田の場合は違う。大学を辞めて、プロの道一本に絞ったのである。
アメリカではそうした事例が多々ある。今年のNBAドラフトで指名が予想されている八村塁はゴンザガ大学の3年生だし、1位指名が予想されているデューク大学のザイオン・ウィリアムソンに至っては1年生、まだ18歳だ。それでも自らがアーリーエントリーを宣言し、NBAのチームから才能と将来性などが認められればドラフトで指名される。
しかしそれはアメリカならではの話で、日本には当てはまらない――もちろん田臥勇太などの例もあるし、川村卓也(横浜ビー・コルセアーズ)のように高校を卒業してすぐにトップリーグへ進む選手も何人かはいる。しかし進学した国内の大学を途中で辞めて、プロの道へ進むことはもう少し先の話だと思っていた。上記のとおり特別指定選手制度があればこそ、なおさら先の話だと思っていたが、B.LEAGUEが開幕して3年目で、すでにこのケースが出てきたことに正直驚いた。
だからこそ、岡田にその舞台裏、真意を聞いてみたかった。なぜ退路を断ってプロ入りをしたのか。
発端は2018年夏、岡田とともに拓殖大の主軸を担っていたゲイ・ドゥドゥが突然大学を辞め、アメリカに渡ってしまったところにある。
「留学生がいなくなったことで練習の質が下がってしまって、毎日の練習に満足していない自分がいたんです。そのときにプロという選択肢が浮かんできたんですけど、個人的な考えとしては大学を卒業しておかないとセカンドキャリアというか、プロが終わってからどうしようという思いもあったので、両親に相談しました。そうしたら『好きなようにせぇ。引退後のことはプロが終わってから考えたらいい』って言われたので決断しました」
練習の質が下がったといっても、拓殖大学のレベルそのものが低いというわけではない。ただ岡田が追求しているもの――高さのある外国人を相手にしてもレイアップシュートまで持ち込む力が、203センチのドゥドゥがいなくなったことで失われてしまった。日本人のビッグマンもいたが、200センチに満たない彼らを相手にしても、イメージするB.LEAGUEにいる外国籍選手の高さを破る手段は得られそうにない。岡田は常に一歩先を見据え、そのために今なすべきことに集中したいと考えたのである。