だが、この場所で自分を磨いていくんだという強い気持ちは揺るがなかった。生まれ育った福岡を離れ宮崎へ。それが15歳のベンドラメが開いた2つ目の扉だ。
本人も周囲も予想外だったのは、中学のバスケット部を引退してから急激に伸びた身長だ。「10cmぐらい一気に伸びて、延学に入学するころには180cmになっていました。そのとき思ったのは180cmあれば、もしかすると2番ポジションでもイケるんじゃないかということ(笑)。まあ、どのポジションでも下手くそなのはわかってたから、ひたすら練習するしかないことに変わりはなかったですけど」
迎えた初めてのインターハイ。同期5人がベンチ入りした中で、ベンドラメは“その他の3人”として裏方の仕事を任された。試合のビデオ撮影、荷物整理、ベンチ裏の細々とした仕事で休む暇なく体育館を駆け回る。コートに出た同期の仲間たちをビデオカメラで追っていると、思わず「いいなあ」と、声が出そうになった。だが、ここが自分の現在地なのだと思い直す。「試合に出られるようになるにはもっと巧くなるしかない。巧くなるためにはもっと練習するしかない。結局最後はそこに行き着くんです。だから、練習は頑張りました。空いてる時間はほとんど自主練に充てていたと思います」
幸い、その自主練にはまたとない“相棒”がいた。
「飛竜ですね。1年のときは寮の部屋が同じになったこともあってほとんど一緒に行動してました(笑)。チーム練習が終わって寮に帰って夕飯を食べると、2人でまた体育館に行って自主練するんです。1対1からウエイトトレーニングまで、ほぼ毎日。あいつが相手だと負けらんねぇと思うし、それは多分あいつも同じだったからいつも2人でバチバチやって、きつかったけど楽しかったです。今思っても自分に“練習癖”がついたのは間違いなくあいつのおかげ。あいつとの時間があったから今の自分がいる。それは間違いありません」
試合に出られなくともめげず、腐らず、黙々と練習に励む。その時間はベンドラメが持つ能力を少しずつ、だが、確実に開花させていく。初めてベンチ入りしたのは1年生のオールジャパン九州予選、そこでの活躍が認められてその年のウインターカップはシックスマンとしてコートに立った。翌年のチームは下級生主体だったこともあり、レギュラーの座に定着。「3年生になったときはメンバーも変わらず、全員に『俺たちは1年間このチームで戦ってきた』という自信がありました。どことやっても負ける気はしなかったです」
延岡学園の3冠は1998年に能代工が達成して以来の快挙であり、ベンドラメは誰もが認める『延学のエース』としてクローズアップされた。
喜びでくしゃくしゃになった顔で「嬉しい」を連発していたあの日のベンドラメを思い出す。練習初日の漠然とした不安、ビデオ撮りをしながら感じた羨望の思い、それを乗り越えるように自主練に励んだ夜の体育館…1つひとつが繋がって今の自分がある。繰り返す「嬉しい」から伝わってきたのは大切なものを実感できたベンドラメの喜びだったような気がする。
part2へ続く
【バスケットに苦しみ、バスケットに救われた1年】
文 松原貴実
写真 安井麻実