努力で開花した天性の能力
言わずと知れたBリーグ元年の新人王である。延岡学園高校3年次にチームを3冠(インターハイ、国体、ウインターカップ)に導き、進んだ東海大では1年からスタメンの座を奪取した。切れ味の鋭いドライブ、思い切りのいい3ポイントシュートで得点を重ね、持ち前の瞬発力を生かしてリバウンドをもぎ取る。中でも相手の一瞬の隙をつくスティールは毎度場内を沸かせ、「独特の嗅覚を持つ予測不能のプレーヤー」と評された。しかし、意外なことに本人によると子どものころは特に運動が得意だったわけではなく、「むしろ受け身がうまくできなくて転んではどんくさいケガばかりしているような子でした」と打ち明ける。バスケットを始めたのも度重なる“どんくさいケガ”を見かねた近所のおばさんが「スポーツをやってみるといいかもしれない。ミニバスのクラブに入ってみたら?」と、勧めてくれたのがきっかけだ。「小学3年生のときです。バスケットに興味はなかったけど、1週間の体験入部だけならいいかと思って入りました。正直、あまり気乗りはしなくて、最初の練習もしぶしぶ行ったという感じです」。だが、それはベンドラメが開けたバスケットの最初の扉。もちろん、そのときは扉の向こうに広がる未来の景色など想像すらできなかった。
ブラジル人の父と日本人の母の間に生まれ、大宰府天満宮に近い福岡県筑紫野市で育った。福岡県はミニバスから中学、高校とバスケットの強豪チームが揃うことで知られる。「しぶしぶ行った」ミニバスの練習は予想外に楽しく、中学ではバスケ漬けの毎日を送ることになるが、候補に挙がったジュニアオールスターのメンバーは途中の選考で落ち、福岡大附属大濠、福岡第一といった地元の名門高校から声がかかることもなかった。
「でも、どうしても全国大会に行きたくて、声をかけてくれた宮崎の延岡学園に進むことに決めました。延学は宮崎を代表する強豪校だし、人数も少ないから自分にもチャンスがあるんじゃないかと思ったんです。家を出て寮に入ることになるけど、それは全然気になりませんでした。とにかく強い高校でもっとうまくなりたいって、それしか考えてなかったです」
中3で初めて延岡学園の練習に参加したときは1番下のチームにランク分けされた。目に止まったのは鳥取から参加していた岡本飛竜のプレーだ。
「飛竜は上級生に混じってAチームで練習していて、同い年なのにすごいヤツがいるなあとびっくりしました。僕は当時身長が170cmぐらいしかなかったから、多分1番ポジションになるのかなと勝手に考えてたんですけど、(同じポジションに)あんな巧いヤツがいたら3年間試合に出られないんじゃないかと、ちょっと不安になったのを覚えています」