泣きながら父と走って帰った10キロが原点
どんな苦しいときでも前だけを見て、大好きなバスケットに向き合う。そこには両親の存在も欠かせないと岡本は言う。
「ミニバスの試合で負けて、体育館から家まで10キロくらいあったんですけど、父と泣きながら一緒に走って帰ったこともありました。父は走る格好で見に来ていて、帰るぞって言われて、僕はユニフォームのまま走りました。その経験は結構大きいですね。悔しくて、自分の思うような結果が出なかったときに『じゃあ、どうしたらいい?』となれば、練習をするしかないという考えは両親の下で染みついたんです」
両親だけではない。日本を代表するオリンピアンとの出会いも岡本をより前向きに、いや、さらに上を向かせるきっかけとなった。中学生のときに参加した「ジュニアNBA」というプログラムに中学1年生と2年生のときに参加し、アメリカにも渡っている。そこでは萩原美樹子氏や大山妙子氏、楠田香穂里氏らに指導を受けた。
「自分は田舎の……鳥取の中学生だったので、全国レベルの選手と合宿や練習をする機会はめったになくて、だからあのときのチームメイトと一緒にやれたことが励みになっていましたし、中学生なりのちょっとした自信にもなっていきました。ここでできているんだから、ほかのところで負けていられねぇっていう、ちょっとした自信にもなったんです」
その「ちょっとした自信」は1年目のアメリカ遠征で見事なまでに打ち砕かれてしまうのだが、それがまた岡本のチャレンジャー精神に火をつけた。
楠田氏の恩師でもある北郷純一郎氏が率いる延岡学園高校に進路を決め、そこで岡本のバスケット人生のなかで最も影響を与える友と出会うのだ。その人物を通じ、岡本の挑む心はより一層熱を帯びていくことになる。
文・写真 三上太