新人インカレの準決勝、筑波大に挑んだ浜松学院大は55-107の大差で敗退した。攻守の柱である2年生のセン マム リバス(203cm)が結膜を損傷しこの日のコートに立てなかったハンデは大きかったが、それを差し引いてもチーム力の差は歴然。立ちはだかる関東の壁は想像以上に厚かったと言えるだろう。
しかし、大口真洋監督はこう語る。
「高さもフィジカルも1つひとつのスキルも筑波さんとうちでは比べものにならない。それは承知の上で、それでも自分たちにできること、やるべきことをやり通そうと話しました。たとえばリバウンドなら相手がシュート打った瞬間、自分たちから当たりに行けと。相手が突っ込んで来たのを受け止めるとはじき出されるから自分たちが先に行けと。それはずっと言い続けてきたんですが、まだ習慣になっていないんですね。でも、選手たちは今日、それを経験しました。私が何十回言ってもピンとこなかったことを身をもって知ることができた。それは本当にすごく大きな収穫だと思います」
大口監督は天理大学卒業後、オーエスジーフェニックス(日本リーグ/スーパーリーグ)、浜松・東三河フェニックス(bjリーグ)、三遠ネオフェニックス(Bリーグ)とフェニックス一筋20年プレーしたキャリアを持つ。熱量あふれる泥臭いプレーで名を馳せ、『ミスターフェニックス』の称号とともに背番号『3』は永久欠番に認定された。引退前の最後の年はアシスタントコーチも兼任したが、当時はセカンドキャリアとして指導者の道を選ぶ考えは全くなかったという。
「きっかけはフェニックスが全面監修して浜松学院大にバスケット部を作ることが決まったことです。でも、ヘッドコーチがなかなか見つからないという。誰か適任者はいないかなあと社長に相談されたとき、ああこれは『おまえがやってくれよ』と言われているんだなと思いました(笑)」
心を決め、コーチライセンスを取得したのはそれから。一期生のリクルートにも奔走し、2018年4月、浜松学院大バスケットボール部創設とともに監督として新たなスタートを切った。
だが、当初は当然のごとく試行錯誤の連続だったという。
「まず僕はコーチとして自分の考えを言葉で伝えるのがあまり得意じゃないんです。プレーヤー上がりということもあって、指導しながら『なんでそんなことができないの?』と思ってしまう。去年は東海リーグ1部に昇格し、インカレ初出場の夢も叶えましたが、それもこれも周りの助けがあったから。指導を始めて6年目の僕が少しずつ成長できているとしたら、それは間違いなく支えてくれるいろんな力のおかげです」
今年のチームを例に挙げれば「春に卒業した金谷拓海がアシスタントコーチに就任して、スキルアップのメニューを僕のプログラムに上手く落とし込んでくれるんです。助かっていますね」と目を細める。「コーチとして自分が大切にしているのは集中力。ルーズボールでもリバウンドでもそこは口を酸っぱくして言っています」。ミスしたあと、だらだら帰る選手を見ると「おまえがだれより早く帰れ!」と声を張り上げ、相手がドリブルしている横をダラーッと走っている選手を見ると「そのボールを狙いに行けよ」と声を上げる。どれも自分が現役時代に心がけてきたことだ。「今でもルーズボールへの反応はたぶん僕の方が早い。まだまだですね」と言いながら、「けど、選手たちはみんないい子なんですよ」と笑う。「どの子もまじめにバスケットに取り組み、本当によくついてきてくれます」と続けた言葉にはどこか誇らしい響きがあった。