古川孝敏に話を聞く前日、秋田ノーザンハピネッツの中山拓哉が語っていた言葉を思い出した。あれは中山が初めてキャプテンに就任した2020-21シーズンだったと思う。最初に「自分はキャプテン向きではないと思っている」と言った中山はその後こう続けた。「でも、隣に副キャプテンの古川さんがいてくれるから心強いです。古川さんは気がついたことをみんなにていねいに伝えてくれて、自分もああいうふうにコミュニケーションを取らなくちゃだめだなとか、(キャプテンとして)学ぶことがたくさんあります」。それ以降、中山が心技でチームを牽引するキャプテンに成長していったのは周知のとおりだ。
後輩に “良き影響” を与えた古川が秋田に移籍加入したのは2019-20シーズン。本人によると「秋田に入ったそのときからこのチームのためにできることはなんでもやろうと決めていた」という。つまり、中山の言葉にあった「気がついたことをていねいに伝える」のもその1つ。「そうですね。キャプテンとか副キャプテンとか関係なく、いろんな意味でこのチームの柱になりたいと思っていましたから」。当初3年契約だった秋田で4年目を迎える決心をしたのも「柱になりたい」気持ちが不変であることの証だろう。
これまで歩んできた道程を振り返りつつ、秋田での “今” を語る言葉からは新キャプテンとしての強い覚悟が伝わってきた。
始まりは “ダメ元” で送った1本のテープ
まずは古川のバスケットボール人生を大きく変えた大学時代の話をしよう。
古川のプレーを初めて見たのは16年前。彼が東海大に入学した年の秋のリーグ戦だったと記憶している。後から『東海大からオファーをもらったわけではなく、自分で売り込んだ』という話を聞いた。『売り込んだ』という表現が正しいかどうかはわからないが、自分のビデオを東海大の陸川章監督宛てに送ったのは事実だ。
「僕は神戸の御影工業(現・神戸市立科学技術高校)でバスケをやっていたんですけど、兵庫県では伝統校と言われていても全国レベルの強さはなくて、3年のときに初めて出たインターハイは2回戦負け。ウインターカップは1回戦負けで終わりました。古川孝敏の名前なんて誰の記憶にもないはずです(笑)。でも、大学でもバスケをやりたかった。それも生意気なことにレベルが高い関東の大学でやりたかったんですね。で、先生に相談したらたまたま先生の友だちがリクさん(東海大・陸川監督)の知り合いというつながりがあって、自分のビデオを送ることにしました。ほとんどダメ元という気持ちでしたね。東海大のバスケは見たことはなかったけど、すごい選手がいっぱいいる強豪校だというのは知っていたし、正直自信はなかったです。多分ダメだろうなと思いつつも方法がそれしかなかったので、それに賭けたという感じでした」
これも後に聞いた話だが、ビデオで古川のプレーを見た陸川監督はまず最初に「エネルギッシュでおもしろいプレーをする選手だなあ」と思ったそうだ。次に感じたのは「この子にはのびしろがある」ということ。ダメ元で送ったビデオは陸川監督の心を捉え、東海大のユニホームを着るチャンスをつかんだ。