S級コーチが豊富な川崎のコーチ陣
勝久ジェフリーと穂坂健祐、二人のアシスタントコーチが佐藤賢次ヘッドコーチの両脇を支えている。勝久コーチはサンロッカーズ渋谷で、穂坂コーチも大阪エヴェッサでともにヘッドコーチ経験がある。2015-16シーズン、当時bjリーグだった岩手ビッグブルズでは勝久ヘッドコーチ、穂坂アシスタントコーチとしてともに戦っている。スタッフ陣を束ねる北卓也ゼネラルマネージャーを合わせれば、コーチ陣とともに4人のS級コーチを擁する川崎ブレイブサンダース。その強みについて、穂坂コーチは「バックグラウンドがそれぞれ違う人が集まり、“3人いれば文殊の知恵”と言われますが、4人いることでさらにその上に行くことができます」と語る。
「それぞれがいろんな経験をしてきたからこそ、深いバスケットの話ができることが一番おもしろいです。僕自身が一番若いので、スタッフ陣だけではなく、選手からもいろんな知識を毎日得ることができています。日々、川崎では良い経験ができています」
穂坂コーチが2年前に川崎に加入したばかりのとき、佐藤ヘッドコーチと勝久アシスタントコーチとともに、朝から晩までバスケ話に明け暮れたことにこのチームの情熱を感じた。
日本バスケを全く知らない状況でめぐり会ったチャンピオンチーム
穂坂コーチが、この職を目指そうと思ったきっかけは大学4年生のときにまで遡る。鹿屋体育大学バスケ部時代、2つ年上の大学院生だった福⽥将吾コーチ(現・茨城ロボッツ アシスタントコーチ)がチームの指揮を執っていた。「昔からNBAが大好きなバスケ小僧だった」という穂坂コーチにとって、福田コーチは共通の話題ができる存在でもあった。NBAやNCAAの話題からいつしか戦術などについても語り合うようになり、「そこから本格的にコーチングに興味を持って勉強しはじめました」。
同じく鹿屋体育大学の同級生だった森重貴裕コーチ (現・琉球ゴールデンキングスアシスタントコーチ)も、ゲーム分析ソフトを使いはじめていた頃である。「四六時中3人でバスケットボールの話をしていた頃がとても懐かしいです」と穂坂コーチは振り返った。
鹿屋体育大学卒業後、オクラホマ州立大学への留学を経て、2010年に帰国。JBLチャンピオンとなったリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)のアシスタントスタッフ兼ビデオコーディネーターに迎えられたのも、福田コーチの尽力による。しかし、当時の穂坂コーチは日本のバスケ事情について「正直、全く知らない状況でした」という。「当時の自分に質問したら今と同じ答えと返って来るかどうかは分からないですが…」と前置きした上で、そのときの心境を振り返ってもらった。