東海大学の陸川章監督はキャプテンの津屋一球を「おっちゃん」と呼ぶ。津屋曰く「呼び名の由来はわからないんですが、1年のころから先輩たちにそう呼ばれるようになって、それがついにリクさん(陸川監督)にまで浸透してしまったという感じです。自分はもう1年以上リクさんから名前で呼ばれたことがありません。練習でも試合でも〝おっちゃん〞と呼ばれています(笑)」。だが、インカレ優勝を成し遂げた後のインタビューで陸川監督が口にしたのは津屋に贈る別の名前だった。
「新チームがスタートする前、キャプテンに決まったことを報告するために津屋が私の研究室にやってきました。そして、開口一番『強い東海大を取り戻します』と宣言したんです。その言葉どおり彼は4年生の筆頭に立ち、この1年全身全霊でチームを引っ張ってきてくれた。津屋がどんな存在だったか?と聞かれたら私は〝東海大の魂〞と答えます。うちのキャプテンはまさしく東海大の魂を体現する存在でした」
どうしても話をしたかった
昨年のインカレで東海大は専修大に敗れベスト8に終わった。帰りのバスの中ではみな無言。「敗れた悔しさはもちろんですが、マッチアップした専修のエース盛實選手(海翔・サンロッカーズ渋谷)を抑えきれなかった自分が不甲斐なくて悔しくて…」と泣いた西田優大の目はまだ赤いままだ。その西田に「3年生で話をしよう」と声をかけたのは津屋だった。バスが大学に着きチームが解散した後、人気のない降車場に残ったのは津屋、西田、木下碧人の3人とAチーム学生スタッフ合わせて6人の〝来年の4年生たち〞だ。「今日の悔しさは絶対忘れちゃいけないと思う」、「何がだめだったのか、何が足りなかったのかを考えないと」、「早くキャプテンを決めて次の準備に入ろう」…。そのときは別段深い話をしたわけではなく、それぞれの思いを互いに確認しあっただけだ。だが、インカレの敗戦から数時間後のあのとき「僕たちはどうしても話し合いたかった」と、津屋は言う。どうしてあんなに気持ちが急いたのかはわからない。「けど、僕たちの中で新しいチームが始まったのはあのときだと、自分は今でもそう思っています」
津屋の胸に焼き付いた『強い東海大』
津屋が実家の青森でインカレ決勝(東海大─青山学院大)のテレビ放送を見たのは中学生のときだった。「東海のキャプテンは狩野さん(祐介・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)で3年に田中大貴さん(アルバルク東京)がいた代です。噂では青学が絶対有利みたいだったけど、東海のディフェンスは鳥肌が立つぐらいすごかった。それにベンチの活気というか、コートに出ていない選手も一緒になって戦っているようで、本当に強いのはこういうチームなんだと思いました。僕が東海に入りたいと思ったのはそのときです」
初志貫徹、京都の名門・洛南高校を経て東海大に進んだ津屋は『強い東海』の一員になるため努力の日々を重ねる。「1年の夏ぐらいから自主練を始めて、練習後はあたりまえですが、寮に帰って飯を食べた後、また体育館に戻ってシュート練習やワークアウトをやるのが日課になりました。2年、3年となかなか試合に出られない時期もあったんですが、それでも自主練だけは欠かさなかった。誰よりも練習したという自負はあります」