大東文化大4年次にインカレを制し、大会MVPに選出された葛原大智はその年の1月に特別指定選手として富山グラウジーズに加入。大学卒業後、正式に富山入りして2年間プレーした。そして今季、新たな活躍の場を求めて移籍したのがレバンガ北海道だ。10月3日の開幕戦(対名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)には敗れたものの26分近くコートに立ち、翌日の2戦目は31分半(日本人選手最長)のプレータイムを得て勝利に大きく貢献した。北海道にとってまさに期待のニューフェイスと言っていいだろう。
愛媛県松山市生まれの24歳。プロに続く道の第一歩は名門・福岡大学付属大濠高校への進学だった。
「全中(全国中学生大会)に出たとき、大濠の片峯(聡太)監督が自分のプレーに目を留めてくださってお話をいただきました。強豪校だけに集まってくる選手のレベルも高く、厳しいこともたくさんありましたが、毎日の練習でやるべきことがすごく明確で。ここで頑張れば必ず成長できると思いました。バスケのスキルもそうですが、自分が一番鍛えられたなと感じるのは人間性の部分。単にバスケットボール選手としてだけじゃなくて、人間としてどうあるべきかといったこと。大げさに聞こえるかもしれませんが、そういうことを学んだ3年間だったと思います」
ただその当時、葛原の中には『将来、プロのバスケットボール選手になりたい』という思いはなかった。
「自分がプロになるなんて、ほんとに全然考えてなかったです。そのころ自分が描いていた将来のビジョンは体育の先生になること。大東文化大に進んだのも体育教師の免許を取れるというのが理由の1つでした」
では、葛原のビジョンはいつから変化していったのか?
「大濠の3年間で人間性の部分を学んだと言いましたが、大東文化に入り学んだのは自主性だと思っています。自分が何をするべきか自分の頭で考えてプレーするということ。そうしないと先はないと感じていました。もちろん周りの選手も同じ気持ちで練習に励んでいたはずです。学年が上がっていくにつれてプロを目指す選手も増えてきて、それに刺激されたわけじゃないですけど、4年生になったころに初めて自分の中にプロというビジョンが芽生えました」
それを後押ししたのは福大大濠高校の同期である杉浦佑成(島根スサノオマジック)と青木保憲(川崎ブレイブサンダース)だ。
「いっしょに大濠の教育実習に行ったとき、プロを目指す2人の話を聞いて自分も挑戦してみたいと思ったんです。いっしょに頑張ろうぜと言ってくれた2人のことばに背中を押されたというか、それまでのぼんやりとしたものじゃなくてはっきりしたビジョンが見えたんですね。それが4年生の10月ぐらいかな。プロを目指すにはかなり遅いんですけど(笑)。とにかくプロになるという目標が明確になって、頑張ろうという気持ちが一気に湧いてきたのはそのころでした」
何事に対しても熟慮するタイプ。軽はずみに決断したり、勢いにまかせて行動することはまずない。ひと言でいえばかなりの“慎重派”だ。
「慎重派?まあそうですね。いつでも石橋を叩いて渡るタイプだと思います。それもかなり強く石橋を叩くタイプ(笑)」
しかし、じっくり時間をかけて答えを出した後は迷わない。そこからはまっすぐ全力疾走。プロになると決意して富山に入ったときもそうだった。心に決めていたのは『学生時代から磨いてきたディフェンスを武器にしよう』ということと『どんなときでもアグレッシブにゴールにアタックしよう』ということ。特別指定選手の期間を含め2年半、常にその意識を忘れずコートに立った自負はある。
「プロとして通用した部分と足りなかった部分、今、思っても本当にたくさんのことを学ばせてもらった気がします。(プロ選手として)富山でスタートを切れたのは良かったと思っています」