東海大学はBリーグで活躍する選手をもっとも多く輩出していることで知られる。指揮を執るのは陸川章58歳。現役時代は日本体育大学からNKK(日本鋼管)に進み“走れるビッグマン”として日本代表メンバーにも名を連ねた。指導者の道を選ぶことを決意し東海大学の監督に就任したのは20年前。当時関東大学リーグ2部に所属していたチームを4年で1部に昇格させると、一気に日本一への階段を駆け上がった。「どんな出来事にも必ず良い面はある」と考えるポジティブさが身上。通り過ぎた日々の中にはいくつもの試練があったが、それさえもユーモアをまじえて楽しそうに語るのが陸川流だ。柔和な笑顔とバスケットへのあくなき情熱。今日も大声を張り上げて練習のコートに立つ監督を選手たちは親愛をこめて「リクさん」と呼ぶ。
走ることに明け暮れた少年が高校で出会ったバスケット
── 陸川さんは新潟県のご出身ですが、中学までは陸上をやっていたとお聞きしました。
はい、今は上越市になりましたが、当時は中頸城郡中郷村と言ってとても雪深いところに生まれました。遊びもスポーツも豊かな自然が相手でしたね。春はソフトボール、夏は水泳、秋は陸上、冬はクロスカントリーと言った具合に1年中何かしら運動をしていました。小学校には山を切り開いたクロスカントリーのコースがあったんですよ。
── 小学校にクロスカントリーのコースですか?
そうです。夕日ヶ丘という丘に1周500mのコースがありました。(クロスカントリーの)校内大会では3年生までの低学年が1周、高学年が2周します。3年生までは3位ぐらいだったんですが、4年生になったときゴール手前で先頭を抜いて優勝したんです。それで走ることが俄然楽しくなりました。陸上では先生から「1000mをやってみないか」と勧められて、6年生のときに1000mで地区の大会に出ました。裸足で走ったんですよ。それにはちょっと事情がありまして。もともとうちの小学校は校庭がすばらしく整備されていて運動するときも全員裸足だったんです。けど、地区大会に出るときはやはり裸足じゃない方がいいという話になったみたいで、全員お揃いでシューズを買ったんですね。スパイクシューズとまではいきませんが、ジョギングシューズみたいなのを履くことになったんです。
── 大会のためにお揃いのジョギングシューズを用意したわけですね。
はい、みんな新品のジョギングシューズです。ところが、これを履くと走りにくくってしょうがない。思うように走れない。それで先生に「いつもみたいに裸足で走っていいですか」とお願いして本番は裸足で走ったんです。で、優勝しました(笑)
── 裸足で優勝(笑)
先生からは「おまえはアベベ(東京オリンピックのマラソンで裸足で走り優勝したエチオピアのアベベ・ビキラ)か?と言われました(笑)