実は2人とも○○なんです。
アスリートにとって“現状維持”は“停滞”を意味する。一歩でも二歩でも、いや、たとえ半歩であっても前に進み続けなければ、後進に追いつかれてしまう。その一方でレベルが上がれば上がるほど、その進歩の“歩幅”は小さくなっていくのも事実。そのわずかな進歩の積み重ねを嫌がらずに踏み出しつづけられる選手がトップレベルのアスリートになるのだろう。
宮澤夕貴と林咲希(ともにJX-ENEOSサンフラワーズ)もまた、そうした選手である。ポジションを変える「コンバート」に挑み、そこで得た技に磨きをかけ、ポジションを自らの手で獲得していった。いまやJX-ENEOSはもちろんのこと、Wリーグでも随一の“シューター”として輝きを放つ2人の対談から見えてくるものは ── 。
── まず「コンバート」について聞かせてください。宮澤選手は高校時代、4番、5番をやっていましたが、JX-ENEOSに入る理由として「3番になるために」と言っていました。改めてその意図や当時の思いを聞かせてください。
宮澤 当時から日本代表でプレーしたいという気持ちがあって、でも日本代表で5番をやるには自分の身長、体格では無理だと思っていたんです。3番としてスタートを狙っていくにはタクさん(渡嘉敷来夢)らビッグマンがいたJX-ENEOSに入って、3番を身につけなければならないという思いでした。高校の恩師である星澤純一先生にも「3番でやれるところに行ったほうがいい」と言われて、私も「そう思っています」と話が合ったんです。いくつかのチームと話をさせてもらったときに、3番への挑戦を快諾してくれたJX-ENEOSに決めました。
── とはいえ、インサイドからアウトサイドへのコンバートは難しさがあったと思います。
宮澤 本当に大変でした。オフェンスもディフェンスも見え方が違いますからね。4番、5番だとゴールを背にするプレーが多いけど、3番だと正面を向く形になります。攻め方も変わってきます。4番のときはボールをもらってからカバーがいるかいないかを見ていたんですけど、3番になったらまず目の前のディフェンスを抜いて、次にカバーをどうするか、瞬時に考えなければいけません。それ以前にディフェンスを簡単に抜けないこともあるわけです。コンバート当初の私は3ポイントシュートがなかったから、相手は間合いを空けて守るんです。そうするとパスもできない。チームとしては強みであるインサイドにパスを入れたいんですけど、私がボールを持つとディフェンスが下がるからパスも入れられないんですよ。同じ2点なら、私のアウトサイドシュートよりインサイドを抑えようとするわけです。ポジションの違いに慣れることが大変でした。
── 葛藤はありませんでしたか? やっぱりインサイドにしておけばよかったなとか。
宮澤 それはなかったですね。少なくともJX-ENEOSのときはなかったです。アウトサイドにコンバートをしてスランプみたいなものに陥ったのは日本代表のときですね。私が初めて出場したアジア選手権……日本が大会2連覇を達成したときですけど、そのときから本格的に3番をやり始めたんです。JX-ENEOSでも外からシュートを打っていたんですけど、インサイドの攻撃が中心だから、私は外に開いていて、パスが来たらシュートを打つのが役割だった。でも日本代表の3番は動きの中でシュートを打つんです。これはやったことがなかった……ほかの3番はソウさん(藤高三佳。トヨタ自動車アンテロープス)やウィルさん(山本千夏。富士通レッドウェーブ)などシューターだったから余計に考えました。
── どう乗り越えたんですか?
宮澤 自分の強みがどこかと考えたときに、インサイドをやっていたこともあって、リバウンドだと考えたんです。3番としての動きがまだまだできていないけど、ならばまずは何ができるかを考えて、他の人たちよりも強いリバウンドで貢献しようと思ったんです。