part2より続く
2016年4月16日未明、熊本県を震源とするマグニチュード7.3、震度7の地震(本震)が熊本を襲った。街は壊滅状態となった。
当時、東芝ブレイブサンダース(現・川崎ブレイブサンダース)との試合を控えていた小林慎太郎はアウェイの地、川崎にいた。そこで聞かされた、地元を襲った地震の一報。居ても立っても居られなかった小林はすぐに熊本へ帰ることを提案する。
「プロとは、と聞かれたときに、試合をすることが正しい選択だと思うんです。お金を払って観に来てくださっているお客さんもいるわけですから。やるべきことはバスケットだったと思うんです。でも僕は社長とヘッドコーチの清水さんに言いました。『批判されてもいい。全責任は自分が負います。ダメだったら首にしてもらってもいいから帰らせてくれ』と」
1995年に阪神淡路大震災を経験している清水はすぐに賛同してくれ、「すぐに帰るぞ」と言ってくれた。しかし当時のリーグは興行の観点から試合をするようチームに伝え、土曜日の試合はせざるをえなかった。しかし小林ら選手もスタッフも気が気ではない。それはそうだろう。被災した地元には家族や友人、ヴォルターズを支えてくれる、当時はまだ数こそ少なかったが大切なファンもいる。彼らが直面している難儀を思えば、今、自分たちがするべきことはバスケットではない。小林らは再度直談判し、日曜日の試合はおこなわずに熊本へと帰った。そして被災者の避難場所にもなっていた、当時ヴォルターズが本拠地として使用していた益城町総合体育館を中心としたボランティア活動を買って出ていった。
それが結果として小林を大きく変え、そして熊本ヴォルターズというチームも、そして熊本県民も変えていくことになる。むろん喜ぶべきことではない。ただ誰も止めることができない天災も、それに負けず、もっと強く生き抜こうとする人々の心までは打ち壊すことができなかった。
「それまでも口では言うけど、行動にできていないとか、プロとはこうあるべきとわかってはいたけど、行動で示せていなかったと思うんです。でも地震を機に周りからどう見られても、やるべきことを……自分が正しいと思うことをやればいい。もし失敗したら『ごめんなさい』と謝って引き返せばいい。素直にやるべきことをやれるようになったのがあのときからだと思います。そうしたら次の年から急に、B2ではありますけど、勝てるようになったんです」