※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2018年7月末発行vol.23からの転載
シーズンが終了すると全選手のスタッツが集計され、その中から得点、アシスト、リバウンド、スティール、ブロック、3Pシュート、フリースローのリーダーが発表される。各部門の頂点に立つことは非常に誇れることであり、讃えられて然るべきものだ。だが、それとは別にバスケットには“数字”には表れない場所でチームを支える選手もいる。
ディフェンスで体を張り、身を挺してボールに飛びつき、苦しい時間帯にも足を止めないハードワーカー。表彰台に上ることはなくとも、ハードワーカーの呼び名はリーダーの名と等しく誇れるものだろう。そのような理由から弊誌アワード選考委員会はハードワーカー部門を設置することにした。
何人もの候補選手が挙げられたが、その中で栄えあるベストハードワーカーに選出されたのは琉球ゴールデンキングスの古川孝敏選手だ。名前を口にしたとたん、頭に浮かぶのはあの髭面(笑)と、コートやベンチで大声を張り上げて仲間を鼓舞する姿だ。
古川はBリーグ元年の覇者・栃木ブレックスの主力としてチャンピオンシップMVPに輝いた選手である。それだけに翌年、栃木を離れ琉球に移籍するというニュースはバスケット界を揺るがせた。のちに本人から聞いた移籍の理由は極めてシンプル。「もっと成長したいと思ったから」。栃木に残ればそれなりのプレータイムと活躍の場を得ることができるだろうし、環境もブースターもすばらしい。「でも、成長するためには別のバスケットに挑戦したいという気持ちがありました。琉球でプレーすることで今までにない自分の引き出しを増やせるのではと思ったんです」。
代表活動からの移動ということでチームへの合流はやや遅れたが、迎えた岸本隆一は「最初から練習熱心で、努力の人だということが伝わってきた」と言う。高校時代はほぼ無名に近かった古川は進んだ東海大で頭角を現し、その後アイシン(シーホース三河)→栃木ブレックスでプレーしてきた。初めて日本代表に選出されたのは2011年。その年月も含め「ただただまじめに、ガムシャラにやってきただけ」と振り返る。下手だからうまくなりたかった。コートに出ればどんな形でもいいからチームに貢献したかった。それが古川の原点だ。
弊誌vol.19に掲載された『石崎巧が選ぶMY BEST5+1』で、3番プレーヤーに古川を選んだ石崎はその理由の1つとして「3番ポジションでフィジカルなディフェンスをする選手は少ない。その点古川はまじめに体をぶつけ、泥臭い仕事も厭わない」と述べている。東海大学の先輩として19歳の古川を知る石崎は心のどこかで「バスケに対するクソまじめさはあのころと変わってないなあ」と思っているのではないか。今や日本を代表するシューターの1人となり、琉球のエースとなってもガムシャラにボールを追いかける古川の姿勢は変わらない。いわば日本で1番『泥臭いエース』。セミファイナル敗退の悔しさを糧に頂上を目指す琉球のコートには、今季も全力でコートを走る古川の姿があるはずだ。
文 松原貴実
写真 安井麻実