小島元基選手の取材をしたのは3月20日。インタビューの音源を起こし、原稿を書き始めた3月25日、小島選手の父、基浩さんの訃報が届きました。先ほどまで聞いていたテープには父を語る小島選手の声があります。それはわずか5日前のこと。信じ難い思いでしばし言葉を失いました。が、その直後、小島選手からこんなメールが届いたのです。「先日はありがとうございました。父が生きているとき、少しでも父の話ができてよかったです」――小島選手が尊敬してやまない『うちの父ちゃん』は、これからもきっと彼の中に生き続けると思います。生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りいたします。
兄にあこがれ、兄を超えたいと思った
小島元基が育った家には、1年中“バスケットの空気”が流れていた。
「そうですね。父ちゃんは日体大(日本体育大学)、母ちゃんは日女体大(日本女子体育大学)でバスケをやってて、父ちゃんは高校の先生になってバスケを教えてました。母ちゃんは小学校の先生でしたが、大学では富樫(勇樹・千葉ジェッツ)のお母さんと同期で一緒にプレーしてたみたいです。4つ上の姉ちゃんは178cmぐらいあって福岡の中村学園高校に進みました。2つ上の兄ちゃんはとにかくバスケが巧くて全中(全国中学生バスケットボール大会)にもウインターカップにも出てます。そんで、末っ子が僕ですね。こんな家に生まれたら、もうバスケやるしかないですよね。バスケやる運命でしょ(笑)」
子どものころからスポーツはなんでもござれ。小2で入ったミニバスチームでは1週間でバックシュートをマスターし、4年生のときにはすでに主力メンバーの1人になっていた。「足は速かったですね。あと、持久力もありました」。小学校で毎年開催される持久走大会で1年生から6年生まで連続優勝したことは「今でもちょっと自慢です(笑)」。だが、それにも増して自慢だったのは「バスケットが巧い兄ちゃん」だと言う。「兄ちゃんは高校でバスケを辞めちゃいましたけど、続けていたら絶対Bリーグでプレーする選手になっていたと思います。あとから知ったんですが、中学の関東大会で対戦したチームに安藤(誓哉・アルバルク東京)さんがいて、安藤さんは兄ちゃんのプレーを見てあこがれてたらしいです」