※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2018年10月発行vol.26からの転載
B1において、コンボガードも含めてポイントガードと記されている選手は59名いた。その平均身長は178.5cm。今号で紹介する175cm以下の選手たちは、やはりプロバスケ選手としては小さい。173cmの細谷将司は、小学校のときはサッカーでその能力を発揮していた。「足は左利きなので、他の人とは違う感覚でできていました。今でもサッカーの方がセンスがあるんじゃないかな」というほど自信があった。2018年ロシアワールドカップに出場した日本代表の平均身長は178.8cm。B1のポイントガードほどであり、サッカーであれば身長によるビハインドを感じることもなかった。
日韓ワールドカップが行われた2002年、中学に進学。出身の神奈川県は決勝戦の舞台になったにも関わらず、細谷が進む中学にサッカー部がない。3つ上の兄の影響もあり、バスケの道に足を踏み入れる。中学時代はグングンと身長が伸び、3年時には170cmに到達した。厚生労働省による性別・年齢別の平均身長(2015年度)を見ると、男子15歳は167.5cm。平均よりも高かった当時のポジションは「3〜4番をやりながらオールラウンドに、自由にやってました」。急速に伸びる身長とともに、どんどんバスケにのめり込んでいく。時は2004年、日本バスケ界に大きな歴史が刻まれたときでもあった。
「ちょうどそのときに田臥(勇太)さんがNBA(フェニックスサンズ)でプレーしていたのを夜中のテレビで見て、憧れる存在になりました。いつか田臥さんと一緒に戦える舞台に立ちたいと思ったとともに、はじめてプロバスケ選手になりたいという夢を持ったときでした」
高い目標に向かって手を伸ばしはじめたが、その思いとは裏腹に身長は頭打ちとなる。偶然にも173cmは憧れの田臥勇太と同じ身長だ。小さくてもNBAの舞台に立ったスターが放つ光に導かれるように努力だけは止めなかった。しかし、自分ではどうしようもできない壁が立ち塞がる。家庭の事情により、高校でバスケを辞めなければならない危機的状況もあった。「そのときに運良くスポーツ推薦のトライアウトがあると聞き、無理を言ってチャレンジしたらたまたま合格できました」とつかんだ関東学院大学への道。しかし順風満帆にはいかず、ようやくコートに立てたのは4年生の秋。すでに企業から内定をもらい、プロになる夢は半ば諦めかけていた。
最後にチャンスを得た大学リーグ戦を見ていた実業団チームの葵企業が、その活躍に目をつける。プロではないが、真剣にバスケに打ち込める環境であり、そのチャンスに藁をもつかむ勢いで飛び込んだ。就職して3ヶ月、いきなり上司から「プロになりたいならトライアウトがあるから受けてこい」と背中を押される。当時、栃木ブレックスの育成チームとして活動していたTGI D-RISEのトライアウトを受け、見事に合格。入社したばかりにも関わらず、葵企業は快く送り出してくれた。「人の縁やタイミング、運で奇跡を起こしてきたことで今があります」と細谷は振り返るが、夢を持ち、目標に向かって努力をしていれば誰だって手を差し伸べたくなるものだ。背中を押してくれた上司も、そして細谷を引き上げてくれた当時のTGI D-RISEの落合嘉郎ヘッドコーチ(現仙台89ersアシスタントコーチ)も大事な恩人である。