6月5日〜11日に行われた関東大学バスケットボール新人戦で2連覇を狙った東海大は目標叶わず3位に終わった。敗れた準決勝(対拓殖大)のあとのインタビューで「勝てる試合でした。あそこでああしていれば、もっと自分がああしていれば…という思いでいっぱいです」と、悔しさをにじませた津屋一球。だが、積極的にゴールにアタックする姿勢や身体を張ったディフェンスなど、津屋のプレーには着実な成長が見て取れた。優勝した昨年は「頼りになる2年生のおかげで自由にやらせてもらってました」というだけに、自分が牽引する立場となった今年は「1年生たちにのびのびプレーさせたかった」と語る。「うちには力のあるルーキーが多いので、彼らのいいところを潰さないようにしたいと思いました。潰さずにどう生かすか、それはずっと意識してやってきたつもりです」。苦境の場面では欠かさず声をかけ、リバウンドもルーズボールも率先して飛び込む。大会前に自分に課し、大会を通して実践したそれは「まずは自分がやることで1年生を引っ張っていく」津屋の気持ちの表れでもあった。
青森県出身。野球の指導者であった父の影響で、小学1年生から少年野球チームに入った。『一球』と書いて『かずま』と読む名前も「バスケットじゃなくて野球のボールから付けられたんでしょうね」と笑う。バスケットと出会ったのは小学4年生のときだ。友だちに誘われて軽い気持ちで練習に参加したにも関わらず、すぐに夢中になった。野球を辞めてバスケットに専念したいと父に告げたのは1年後。その日以来、『一球』は褐色のボールを指す名前となる。来る日も来る日もバスケットに明け暮れる日々が始まった。
「強豪校でプレーを磨きたい」という思いは強く、高校は京都の名門、洛南へ。時を同じくしてU16、U18の日本代表メンバーに選出され、東海大に進学した昨年はU19の代表としてFIBAワールドカップにも出場した。「高校も大学もアンダーカテゴリーの代表もレベルの高いチームでやることはすべて自分の実になります。本当に勉強になることばかりです」。そう語る津屋には、この夏“日本代表„として挑む初めての大会が待っている。7月6日〜14日までアメリカで行われるU21デフバスケットボール世界選手権だ。
『デフバスケットボール』とは聴覚に障害を持つ選手によって行われる競技であり、世界規模の大会としては4年に1度開催されるデフリンピックと世界選手権がある。コートで躍動する普段の姿から想像するのは難しいが、両耳が“難聴„という障害を持つ津屋はこれまで補聴器を付けてプレーしてきた。しかし、デフバスケットボールでは補聴器の装着は禁止されており、選手全員が「聞こえない」、あるいは「聞こえづらい」状況の中でプレーすることになる。ドリブルをつく音、シューズが床を擦る音、仲間がかける声、観客席のどよめき、今まであたりまえに聞こえていたものが耳からすーっと遠のいた世界。初めて練習に参加したときの感想は「ショックでした」の一言だ。