個性際立つストリートボーラーが集まる『SOMECITY』。そんな中、一見すると普通のビジネスマンに見え、かえって気になったのが “AB”こと海老原 奨(えびはら すすむ)29歳。
物腰の柔らかさは印象通りだが、サイズを活かしたアグレッシブなプレイとエネルギーで観客を魅了し、「3×3日本代表」という肩書を持つ実力派。話を聞いて印象を新たにしたのは「普通っぽいけど、全然普通じゃない」ということ。やっぱりSOMECITYで戦うボーラーは、熱い思いと行動力に溢れている。(写真提供:AB)
小学校の校庭がストリートの原点!
ABのルーツとは
──バスケとの出合いは?
AB:スポーツが好きで、サッカーや野球をやっていました。ミニバスはなかったんですが、転校生がやって来て、僕たちの学校にバスケカルチャーを持ち込んだんです。そういう意味でその子はカリスマ的存在(笑)で、仲良くなって一緒にバスケをしたら面白かった。“俺もバスケやろう!”って。校庭での遊び感覚ですがどんどんバスケが好きになり、たまたまコートに来ている中学生や大人たちに挑戦したり、ボールを自転車の前カゴに入れて隣町の小学校へ出掛けて行ったり。街の新しいコートを探したりする、冒険の日々でしたね。当時はバンクシュートが得意で“45度のえびちゃん”というa.k.a.がついていました(笑)朝礼のチャイムがなってもプレイし続けて、よく教室の後ろに立たされたものです。彼と当時の仲間は(僕以外)、皆一家の主に。彼らは、僕の人生最初のチームメイトで、今でも大切な地元の仲間です。
──遊びだったバスケは中学から本格的にプレイ?
AB:「バスケを習いたい、部活で教りたい」って思っていました。ただ、どこにでもあるごく普通の中学校だったし、チームは強くなかった。バスケは相変わらず好きでしたが、だからといってバスケのことだけを考えていたわけではなく、勉強もしっかりやらなければいけないという思い(文武両道)が強かったですね。バスケ強豪校を目指したわけではなく、春日部共栄という高校に進学しました。野球やバレーボールが強く、バスケは入学時、県でベスト8ぐらい。「文武両道」がカッコいいと思っていたんです。
──高校のバスケを引退してからは受験勉強の日々? 普通の高校生らしい青春時代になるはずが、1枚のポスターで運命が変わってしまったとか?
AB:父が外資系で働いていて、海外からの来客も多かったんです。英語でのコミュニケーションが楽しそうだなって感じていました。部活引退後、英語専門の予備校に通いましたが、そこで目にしたのが留学案内のポスター。“えっ! これは面白そう。留学を考えているヤツはあまりいないし、アメリカなら、半端ないバスケの本場じゃん!!”って(笑)
それまでは、友達が進学希望だから自分も、みたいな感じでモチベーションは上がらない。でも、そのポスターを見た瞬間に、行きたい! 行けるなら何でもする!! ってなりました。未知の可能性にワクワクしたんです。親も応援してくれたので、予備校のアメリカ人講師に進学先を相談したら、彼の母校のコミュニティカレッジ(短期大学)を紹介されました。
「カウボーイな田舎町だけど、だからこそバスケと勉強に集中できるよ」というアドバイスもらい、それからは、勉強まっしぐら、オンファイヤー! でしたね(笑)
春日部からカルフォルニアへ
アメリカで掴んだチャンス
──モチベーションは一気に上がって合格。「希望を胸に飛び立った」わけですね? 留学生活はいかがでしたか?
AB:バスケのレーニング施設は充実していて環境は最高。何としてもチーム入りしようとチャレンジしましたが、想像以上に半端ないところでした。カリフォルニアのコミュニティカレッジはレベルが高く、プロの世界でのし上がろうという連中と競わなければなりません。日本ではプロで活躍できるような、同世代では今まで見たことないような選手たちと一緒にプレイするわけですが、それは本当に衝撃的で……埼玉の県大会1、2回戦止まりの18歳には、それはもうカルチャーショック。フィジカルは特に別のスポーツのような感覚を受けたのを今でも覚えています。
当時の授業は留学生用のカリキュラムがなく、現地の学生と同じ扱い。講義の内容をキチンと理解した上で、地元の学生たちと議論を交わさないといけない。授業中に自分の意見を発言しないと落第してしまう始末。基本の教育として自己表現力が求められ、そのスキルに関しては皆、非常にレベルが高い。準備はしていきましたけど、それでもやっぱり最初は英語も下手で、バスケはもっと下手。何もかも上手くいかなくて、悔し泣きしたこともありました。
──夢と現実のギャップに打ちのめされそうになっても、頑張り通すことができた?
AB:数カ月が経って、チームトライアウトの最初の結果が出ました。結果は「レッドシャーツ」(試合には出られない補欠登録)。そう言われてガクってなりましたが、“それでもやります!”って頑張っていたら、しばらくしてからひょんなことで枠が空いたんです。それで、正規選手として迎えてもらいました。
それから2年間、クラスのGPA(単位を落とすと試合に出られない規則)もキープし、しっかりロスターに入り。とても充実した毎日の練習と、州内の試合ツアーの日々を過ごしました。アメリカン・カレッジ・アスリートライフです。
日本では大学から推薦の「す」の字もなかったので、厳しいトライアウトを経て、チームのロスター入りできた瞬間は本当にうれしかったですね。ユニフォームやお揃いのグッズなどを支給された日の喜びは今も忘れません。無名、無経歴の外国人の自分を受け入れてくれる。アメリカは本当にチャンスの国だなと感じた瞬間でもありました。
帰国後のある出会いが転機に。
教師志望から人生は大きく方向転換
──帰国後はどのような計画があったのでしょうか?
AB:バスケに関しては、ボコボコに打ちのめされた感じ(笑)で、カルフォルニアでの学生生活はあまりに非現実的(楽し過ぎ!?)と感じていたんです。帰国すると同世代は就職の準備を始めていて、早く日本の社会に復帰しなきゃ、と。苦労の甲斐があって英語は修得できたので、以前からの目標だった教師になろうと、教員免許取得のために早稲田大へ。
──その頃、バスケとはどう関わっていこうと思っていたんですか?
AB:日本でも面白い環境があればやりたいなぁと思い、受験勉強とバイトの合間に、自分から面白そうなバスケ関係者に会いに行きました。ここで計画が狂っちゃったんですけど(笑)、最初に門を叩いたのがジムラッツ。岡田(卓也/3×3日本代表アドバイザリーアシスタントコーチ。チームの一員として再会)さんのクリニックです。アメリカでプレイすることの大変さは知っていましたから、ABAに挑戦されていることで注目していたんです。クリニックのあと、「夜は秘密のピックアップゲームがあるよ、来なよ」って誘われ、そこでF’SQUAD(当時FAR EAST BALLERS)のK-TA(鈴木 慶太/現3×3日本代表)君に会ったんです。
──そこでSOMECITYとのつながりができた?
AB:立ち上げの真っ最中で、AJさん(柴山 英士/SOMECITY本部代表)などにもお会いしましたが、自分たちで新しい環境を創ろうとしているカリスマ性やエネルギーを感じ、“なんてロックな集団だ! 仲間に入れてもらいたい”と魅せられました。気づいたら帰国後も、結局はガッツリバスケをしていましたね。
その後、人生プランはずいぶん方向転換し、大学卒業後は商社マンに。仕事とバスケの両立はロックだと思って……当初、「商社マン」と「バスケットマン」の両立はうまく行っていたんですが、地方転勤の辞令が出て、悩んだ末に“辞めます”って辞表を提出しました。周りには随分反対されましたけどね、「アホちゃうか」って……最後は自分の感覚で決めました。
次はバスケの活動に理解があり、両立できる職場を探そうと、港で日雇いの倉庫作業をしたり、ジムのトレーナーをしたり、結婚式のMCをしたり!? いろいろと模索した結果、今の職場にたどり着きました。外資系の採用関連の業種で、「人材コンサルタント」という肩書です。
──人生経験は豊富だから、ピッタリですね?(笑)
AB:たまたま面接で出会った上司がアスリートのセカンドキャリア支援に興味があり、「キミはバスケも仕事も両方で活躍してください。そして、バスケも仕事も、どちらかがキツイとから、と成果が出ないことを言い訳にはしない。それで頑張れるなら来てくれ、そう言われたんです。仕事とバスケを両立するという経験が、将来的にも役に立つ、そう考えたんでしょう。僕自身の生き方が、ロールモデルのようなイメージなんでしょうね。
自主独立が大事。次世代へつなぐ
“AB流ロックな”ボーラー像
──これからのことはどう考えていますか? SOMECITYの初期メンバーも年齢が上がりつつありますが?
AB:SOMECITYと出合ってもう7年。もちろん、まだまだ現役ボーラーであり、挑戦者ですが、自分の立ち位置が変わってきたなというのはあります。新メンバーや、あとに続くボーラーたち、子供たちに「どういう環境を用意できるか」を意識するようになりました。ただガムシャラにやるというのではなく、ここでも“ロールモデルのひとつ”というか、そういう役割を担わなければならないと思っています。
人生経験が短いのに偉そうなことを言いますが、バスケ選手は社会の中でマジでロックな人種だと思います。もっとイケてていいと思うんです。バスケ以外でもその魅力をアピールし、才能を発揮していくべきではないでしょうか。自分で人生をマネジメントし、バスケを続けるために、その環境を整えていくべきなんです。
自分がそうできているかといえば、まだまだかも知れません。が、仕事やバスケに取り組む環境を、もがきながらも自分でつかみ取ってきたと思っています。これからもチャレンジしますし、夢は追いかけるだけではなく、実現していくことが大切だと考えています。
──欧米のアスリートはオリンピックに出ても、「弁護士を目指しています」「医学部に通っています」というコメントを聞いたりしますよね?
AB:ニューヨークに1年間住んでいたことがあり、ストリートボールをやるために多くのコートへ出かけました。出会うボーラーは本当に多様で、元NBA選手から素人までいるんですが、ガチで凄いプレイをする。それで、「アイツ、オフコートで何やってんの?」って聞いたら銀行員だったり、デイトレーダーだったり、ビジネスパーソンとして自立している。自称コメディアンや怪しい自営業者もたくさんいましたね(笑)
何をして生きていようが、NYCの皆に共通して感じたのは、「自分の人生で幸せであるべき姿を理解し、バスケをその中心に置きながらも、自分の人生を自分で動かしている」ということ。個人個人に、「バスケ選手とはこうであるべき」というスタイルがあり、しかも枠に縛られないダイナミックさがある。「自由」ですよね。
学生時代から、自分の人生とバスケのあり方については随分悩んできたんですが、NYCでの出会いの数々は、一つの自分の生き方の自信になった気がしました。
──それは自分が追い求めてきたものであるし、しばらくはこの環境でプレイを続ける?
AB:そうですね、まだまだハードに楽しんじゃいますよ。コート上での高揚感は唯一無二。伝えたいこともたくさんあるんです。以前、3×3 PREMIER.EXE(東京オーシャンズのドラフト1位指名選手として参戦中)のプレシーズンゲームがあり、それがたまたま母校(小学校)の近くだったんです。今ではミニバスもあり、その子どもたちが観に来てくれました。先輩のABが「極端にロックンロール」なんて思われたら、その子たちの親は「バスケなんてお金にならないし、あんな風になっちゃう」って、我が子の将来を案じるあまりに言われてしまうかも知れません(笑)
でも「ABはバスケ好きで、勉強も頑張って留学も……あなたも頑張ってみたら」って言われたらうれしいですよね。僕自身、バスケだけの才能だったら、今現在、実現できていないことが絶対にあるはずです。僕の思いですが、ロック(カッコイイ)はひとつの型だけじゃない。人それぞれ多様なロックがある。人には得意不得意はあるし、必ずしも勉強しなきゃダメとは言いません。だけど、バスケで人生を本当に楽しむためには、結局、バスケ以外のところでも努力が必要っていうことです。バスケのために他のことも頑張る。その姿はロックだと思っています。
“AB流ロックな生き方”を示すことで、子供たちにも自分だけの“ロック”を見つけて欲しい。予定変更で教室の教壇にこそ立っていませんが、“AB”としてバスケコートに立ち、活躍し続けることが、今の自分なりの教育への関わり方だと思っているんです。
環境に恵まれていなかったからこそ、身体も頭もフル活用し、ハングリーにチャンスを追いかけたというAB。その中で見つけたのが「勉強を頑張ったり、人とのコミュニケーションを頑張ったり、自分の可能性を信じ期待して、トライする心」の大切さ。今はさまざまな人たちの努力と想いがカタチとなり、環境も変化して『ストリートボールが世界へ出ていくチャンス』が増えた。だからこそ、「こうやってハッピーに続けることができるんです」と笑顔で話すAB。
AB:ストリートから「3x3日本代表」が編成されるというのも凄いことで、自分がその代表入りを果たせたのも、今まで出会ってきた人たちや環境、例えばSOMECITYと出会っていなければ実現しなかったでしょうね。「校庭」から日本代表入りするまでには、コートの内外で、本当に多くの得難い出会いがありました。
早くから注目され、全国大会で活躍し、大学やプロから誘いを受け、月バスなどの雑誌に載って……そんなストーリーにはすごく憧れましたが、紆余曲折あって、今ではこんな仕上がりになっています。まぁこれはこれで、良かったんじゃないかなって思うんですよ(笑)
──自分で道を切り拓く、「自主独立の精神」を大事にされている印象があります。小学生の頃は無意識だったかも知れませんが、ボールを自転車のカゴに入れて武者修行に出かける辺り、その片鱗がうかがえますね?
AB:自主独立、それは学生時代も今も変わることがありません。もう一つ変わらないのは“バスケが好き”なこと。バスケをやっているヤツはカッコいい。“ロック!” プレイだけでなく、生き方そのものを通して、その思いを伝えたいと思っています。
SOMECITYに限らず、3×3 PREMIER.EXEやそれ以外のコートでも、そんな彼のプレイを観ることができる。会場に足を運んでABを見掛けたら、気軽に話しかけてみるといい。明るい笑顔で、バスケのことや留学のことなど、何でも優しく話してくる。プレイを観るだけで感じられるバスケの楽しさと、それにも増して熱く語ってくれるABの素顔に触れることができるはずだ。
【SOMECITY 】
2014-2015 TOKYO 1st PLAYOFF/8月27日(水)@新木場スタジオコースト
http://www.somecity.tv/
【3×3.EXE】
3×3 PREMIER.EXE 2014 Round.3 神戸/8月17日(日)@神戸ハーバーランドスペースシアター
http://exe.3x3league.com/
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。