『SOMECITY』を始め、さまざまなストリートボールシーンに登場する個性派の一人、409(シュレック:TOKYO BEAST#409)こと安室 高志。小学生の頃、『スラムダンク』(井上 雄彦/集英社)にハマり、学生時代はM・ジョーダンの2度目の3ピートに魅せられたという。
ケガに泣かされ、方向転換を余儀なくされたバスケ人生だが、ストリートボールに出会い、新たなチャレンジの場ができた。その体躯を生かしたパワフルプレイと雄叫び、そしてユーモラスなキャラで観客に愛されている。
──バスケを始めたきっかけは?
409:僕らの世代だったら、もう『スラムダンク』。小5ぐらいから連載が始まってハマった。サッカーをやっていたんですけど、運動神経がよかったわけではなくて体育の成績はいつも「3」。
──スポーツ万能タイプではなかった?
409:可もなく不可もなく中の中、種目によっては下の上とか(笑)。それでも体はデカかったです。家族の誰かがスポーツをやっていたわけでもなく、僕もそれほど得意じゃないし、特に苦手だったのが道具を使ってボールを打つ競技……野球やテニス、卓球とか。
ただ、子どもの頃はゲームなんかが今ほど流行ってなかったし、みんなで野球をやるんですよ。そこで活躍できないと悔しい、というかチームに貢献できないと悔しい。だからいつも「バント」をやっていましたね。バントは上手い!
──それが『スラムダンク』と出会って、バスケならもっと上手くできるかもって?
409:いや、もうゼッタイこれだな、って思いました。何かわからないけど、これだ!って。当初は(バスケを)やるのは体育の時間ぐらいしかなかったんですけどね。
──ミニバスではなく、仲間を募ってやっていたんですか?
409:その頃、住んでいた地域にミニバスはなかったんじゃないかな!? 授業でバスケをやって、「楽しかったよね」って言い合いながら、休み時間や放課後にまたやる、ぐらいな感じです。中学生になってバスケ部に入ったんですが、メチャメチャ弱かった。僕が1年の秋の試合で0‐72で負け。ゼロですよ、ゼロ(笑)
──その時の気持ちはどうでしたか?
409:いや~、バスケって点が入んないんだなって。顧問がハンドボールの出身で、ルールは『スラムダンク』で覚えましたから。フィジカルコンタクトは大丈夫でしたけど、ピボットの踏み方は怪しいというか教わってなかったですね。
──チームでは一番大きかった? ポジションはセンター!?
409:学年で1番でした。中1で168cm、卒業する頃は188cmです。
──ゼロ点の試合ではシュートを打った記憶はあるんですか?
409:ないです。何やっていたんだか記憶がない。2年の区の大会では、5-115という試合も経験しました。
──負けっぷり (!?)は伝説的なわけですね?
409:その後、顧問の先生が転勤することになって、バスケ部がなくなっちゃった。しばらくはリングが設置してある近くの公園で、バスケ部の連中と一緒に遊んでいました。
それで、2年の春に転任してきた先生(今度はアメフト)が部活の面倒を見たかったらしく、廃部になっていたバスケ部の顧問になってくれて秋から再開できたんです。バスケは知らないんですが、やたら熱い先生。フリースローをサッカーのPKと勘違いして、「フリースローは誰か上手いヤツが打て」って、フリースロー専門のシューターをつくろうとしていましたね(笑)
──バスケを教わる環境がなかったというか?
409:でも、115点取られて負けた相手に、次は前半10点差ぐらいで食らいつくことができたんです。結局は35-70ぐらいのダブルスコアで負けたんですけどね。
──青春ドラマ的には「俺たち、頑張ったぞ!」っていう達成感があった?
409:そうですね、負けたけど、まぁ良かったかな、と。
──中学で大敗を喫し、廃部を経験したバスケ人生ですけど、まだ続けようと思っていた?
409:中学はあまりバスケをやっていないんです。バスケを知っている先生に習ってなかったし。もし、「バスケの先生」と出会っていたら、別のバスケ人生があったかも知れないですね。基礎ができなかった。
──でも、楽しかった?
409:それはもう楽しかった。高校でも続けよう、そう思っていましたから。
『スラムダンク』の衝撃は大きく、サッカー少年から、バスケ小僧へ。残念なことに「上手くなりたい、強くなりたい」という目標は果たせずじまいの中学時代だった。それでもバスケは大好きなままで、高校でも迷わずバスケ部に入り、活躍を夢見た。
──インターハイ出場とか、もっと上を目指す、という感じだったんですか?
409:そうではなかったですが、先輩が誘ってくれた高校が東京都でベスト16~32ぐらいは狙える、ということだったんです。ところが入学してすぐのインターハイ予選で1回戦負け。話が違うと(笑)。日体大から外部コーチとして、学生の方が週1~2回来てくれたんですけど、あとはチームメイトといろいろ考えながら練習するだけで、なかなか結果は出ませんでした。きちんとバスケを習うことができないと、上へ行くのは難しい。
──それでもバスケを続けて来られたというのは『スラムダンク』で受けた印象が強烈だったから?
409:部活は高校3年の夏に終わったんですけど、どっぷりハマっていました。あと、良かったのが高校時代はM・ジョーダンが2度目の3ピートを達成する時期と重なったんです。それでまたNBAが好きになって……。
──バスケには触れていたけど、試合などで好結果を残せたわけではなかったんですね?
409:大差で負けちゃうようなチームでしたが、高1の冬に外部コーチが代わりました。仙台高校で佐藤久夫先生(現・明誠高校)に教わっていた方で、ケガで現役は諦めたそうですが、凄いコーチでしたね。その方に教わった時は、僕自身平均30点ぐらい取っていました。そのコーチはそのまま僕の母校の教職に就いて、今では都大会でベスト8とかのチームになっています。
ケガに泣いた学生時代。現実的な将来を考えると、バスケから遠ざかろうとする自分と向き合わざるを得なくなった。くすぶり続けるバスケの思いを封印!?
──大敗を喫することもあったバスケ人生ですが、心が折れたりはしなかった?
409:それはないですね。ずっと“バスケで頑張りたい”ってブレずにいましたからね。将来バスケでメシを喰うとか、具体的なイメージはなかったけれど、強いチーム(大学)に行かなければ、と思っていたんです。だけど、自分のキャリアでは1部や2部の大学は相手にしてくれないと考え、3部の大学でしっかりプレイできる環境を目指そうと受験しました。
──プレイタイムがもらえそうだな、と考えて進学先を決めて、実際はどうでしたか?
409:入って1カ月で膝を脱臼し、ほぼ1年間プレイができず、1年の頃は学連の会計係をやっていました。ビデオを撮ったり、オフィシャルやったり、何でもやりました。
──何があってもバスケからは離れなかった?
409:そうですね、1年の終わり頃には何とかコートに立てたので、試合に出ました。
──学生生活が終盤になって心境の変化はありましたか? 例えば、関東実業団連盟に所属している企業チームでプレイがしたいとか?
409:いや、その頃はちょっと心が折れかかっていて……大学の1部の試合を観に行っていたんですが、当時は日体大の篠原選手や、大東文化大の宋選手(ともに東芝でプレイ)が活躍していて、2m級の選手でもクロスオーバーなんか上手いんです。これは次のステップ(実業団)は無理かなって……膝は2回ケガをしていましたし、大学でバスケは終わりにするつもりでした。
大学4年の入替戦、2部昇格を賭けた試合で、勝てばインカレにも出場できる。4チームの総当たりで3チームが2勝1敗で並び、得失点差に……結局、昇格を逃しました。
──2部昇格を決め、インカレ出場を果たし、バスケ人生悔いなし……みたいに終われたはずだったのに?
409:終わらせてくれなかったですね。7点差で負けてもいい状況だったにもかかわらず、10点差をつけられる大どんでん返し。試合後は大泣きしました。試合に負けて泣いたのは初めてでしたね。
──ストリートのゲームで何度か見掛けましたけど、意外と涙もろいのでは(笑)?
409:歳を重ねるとともに……もろいです。
好きなバスケだが、一度は離れる決心をした。たまたまTVで観たのが「ストリートボール」。自分には関係ない世界だと思っていたのだが、誘われるままコートに立ち、バスケ小僧だった自分に引き戻されていく。
──ストリートボールとの出会いは?
409:『ワールドビジネスサテライト』(テレビ東京)という番組で『FAR EAST BALLERS』や『LEGEND』を取り上げていて、バスケの新しい潮流が来る、みたいな感じだったんです。『AND1 MIXTAPE TOUR』とかも観て、確かに凄いなって思っていたんですけど、自分には関係ない世界だと思っていたんです。プレイスタイルが違うし、こんなステージでプレイするのはムリだって……。ただ、『TEAM-S』のTAKUさん(斎藤 卓:現アースレフンズ東京Zアシスタントコーチ)と一緒にプレイする機会があって、『LEGEND』(YAHOO!の動画配信)を観るようになりました。自分がストリートでプレイすることになるとは思わなかった。ビジュアルが違うし(笑)
──実際のストリートデビューは?
409:2007年の『HOOP IN THE HOOD』東京予選。28歳ぐらいだったかな!? 助っ人で出て、圧倒的な強さで勝ち上がりました。FAR EAST BALLERSの5連覇を阻止したんです。TEAM-Sだし、行ってみたらお客さんがいっぱいでビックリ! まさかこんなに盛り上がっているとは、っていう感じでした。
──自分には合わない世界だと最初は思っていたわけですね?
409:その後、少し間が空いたんですが、高校時代のチームメイトで、吉村 雄介(LEGEND:YOU)っていうやつから連絡が来て、「今度、FAR EAST BALLERSで練習をやるんだけど来ない?」って誘われて。それで、練習に混ぜてもらったら、“スゲエ!!”面白かった。
──新たなバスケとの出会いがあった?
409:それまでは練習の一環として3on3をやっていたのに、それ自体で競い合う。しかも動画サイトで観ていたボーラーが一緒なんで、気持ち的にも盛り上がるというか、凄いなって。もうすでに最年長の部類でしたが、タイミングも良かったんです。その年の12月にLEGENDのSEASON 5 グランドチャンピオンシップがあったり、『SOMECITY』プレリーグの『WHO’S GOT GAME?』があったり……。
──「今度の自分のプレイグランドはここだ!」と決めた?
409:社会人になってから、プレイする機会がなかったわけではないんです。bjの最初のトライアウトを受け、『新潟アルビレックスBB』から練習生で、というお誘いを受けました。ただ、就職が決まっていたのでお断りしたんです。『横浜ギガスピリッツ』からも誘われて、“頑張ります!”って頭を下げたのに、翌日にまた膝を脱臼。それで諦めました。チャンスに手が掛かった時にアクシデントがあったりして逃してきましたが、ストリートと出会ってからはそうではない。チャンスが広がっていった感じです。
──自分のエネルギーを発散できる場所になった?
409:学生時代から、バスケに関してはくすぶっていた感覚があったんです。それが一気に燃え上がるように火をつけてくれたのがストリート。チームとして参加したのは、『TEATIMETokyo』。2008年のSOMECITYで、WHO’S GOT GAMEを勝ち上がり、3シーズンぐらいレギュラーで参加していました。
新しいステージではキャラが際立つ409。持ち味を発揮して、すっかり人気者の仲間入りを果たした(MCがイジりやすいから!?)
──今、仕事との両立はいかがでしょうか? かなり難しいのでしょうか?
409:そうでもないですよ。社会人としてもいい歳ですから、仕事を自分でコントロールできる立場になってきました。もともとSOMECITYをやりたくて選んだ職場です。営業以外全般に関わり裁量範囲が広く、その分、責任は重いのですが采配を揮いやすいように職場環境を整えたというか、バスケメインにしているというか(笑)
──今夏の『SOMECITY CRASH』で『420』を破り、涙の復帰を果たしましたが?
409:皆の前で泣かないと思っていたんですけどね。前日のイメージトレーニングもバッチリ。身支度を整えて会場入りし、アップをして試合に臨む。どんなプレイをして、勝ったらどういうアクションをするか、というところまで、こと細かに考えていたんです。そこまでやなければダメらしいんです。ただ、泣くのは計算外でした(笑)
──吠えて観客にアピールするのは計算済み?
409:ではないですね。入場の時ぐらい。試合中はまったく計算していないです。試合中はテンションが上がって自然と出るんです。
──不覚にも流した涙とのことですが、優しい性格なんですよね?
409:そんなことはないと思いますけど。ものごとに対して許容範囲は広いほうだと思います。自分のことをあれこれ言われてもカッと来ないけど、自分に関わりのある人とか、物事に対して批判されるというか、何かを言われるとダメですね。
──自分のことは何を言われてもいいけど、自分が大事にしているものは守りたい。やっぱり、優しい(笑)。ふと『泣いた赤鬼』という昔話を思い浮かべたんですが?
=村外れに住む心優しい赤鬼。村人と仲良くなりたいと友達の青鬼に相談すると、「俺が村で悪さをするから、お前がやっつけろ。村の人たちはきっとお前を受け入れてくれる」と提案。芝居が上手く行き、村人と仲良くなった赤鬼。青鬼を訪ねると、「一緒に居るところを見られたから元も子もないから」とどこかへ去ったあと。赤鬼はいつまでも青鬼の家の前で泣いたとさ=
赤鬼も青鬼も心優しい。そんなイメージ……「鬼」なんていうと失礼ですけど(笑)
409:いい話じゃないないですか(笑)。409というのは、当時TEA TIME Tokyoの代表者が “シュレックに似てる”って言い出して。今より10kgぐらい太っていたんです。WHO’S GOT GAMEの時に、安室(ヤスムロ)だと長過ぎるっていうんで、シュレックになって……すっかり定着してしまいました。
──気に入っているんですが?
409:メッチャ後悔してますよ。なんで、こんな選択をしたんだろうって、未だに思っています(笑)
──自分で考えていたのは?
409:まぁ、それも別になかったんですが……いや~もう「409(シュレック)」でいいです。
* * * *
取材日のSOMECITYでは、アップでダンクに行くふりをし、観客の笑いを誘った。ゲーム中、なかなかボールが回って来ず、得意のインサイドプレイは不発。「今日の409はなかなか吠えねえぁ」とMC・MOJAにいじられると笑いが起こる。すると、得意のパワープレイが炸裂し、お約束の雄叫び。すると、連続ゴールでまた雄叫び……「409、2度目の雄叫びは早えなぁ」で大爆笑だった。
人気者の409はストリートボーラーとして、新たなステージに進出した。主戦場のSOMECITYの他、1on1 のチャンピオンを決める『RED BULL KING OF THE ROCK』。『3×3 PREMIER.EXE』 では『TOKYO OCEANS』の一員として各地を転戦。『3×3 TOURNAMENT.EXE』ではFINAL STAGEで準優勝という成績を収めた(TOKYO BEAST)。
まさか自分がストリートで……と思っていたのに、今やストリートには欠かせないボーラー。409とはそんな男だ。一度観ると、きっと忘れられなくなりますよ。
SOMECITY
3×3.EXE
Red Bull King of the Rock2014
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。