東日本大震災に見舞われた3月11日が今年もやって来ました。あれから3年──犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。まだまだ避難生活を強いられ、復旧復興へ大きく進展できていない地域も多く、一日も早く日常を取り戻せることを祈るばかりです。甚大なる津波被害、そしてまだまだ続く原発事故の影響による爪痕は3年が経過した今も、東北3県に色濃く残っており、それは日々報道でも伝えられています。
bjリーグでは岩手ビッグブルズと仙台89ERSの被災地両県にあるプロチームが、現在プレイオフ争い真っ直中。来シーズンから福島ファイヤーボンズの新規参戦が決定。昨年末のウィンターカップでは宮城県代表の明成高校が日本一となり、東北バスケ界から様々な明るいニュースが届けられています。
東北3県の真下にある茨城県や栃木県も大きな揺れにより、被害を被った地域です。リンク栃木ブレックスが本拠地とするブレックスアリーナも被災しました。また、液状化現象に見舞われた千葉県では、デコボコになった道を目の当たりにしました。
3月11日当時、Wリーグファイナル第2戦が行われる前日であり、福島県に移動していたJXサンフラワーズ(現JX-ENEOS)とトヨタ自動車アンテロープスは被災。福島県の下にある茨城県ひたちなか市を本拠地とする日立ハイテク クーガーズは、プレイオフ進出を逃しており、すでにオフシーズンに入っていました。キャプテン小笠原 ひかる選手は静岡県出身。オフシーズンは帰省されていたかと思いきや、その日はまだひたちなか市の寮に残っていたと言います。
被災地茨城県で3.11を過ごした小笠原選手に当時を振り返ってもらいつつ、3年が経った今の状況や心境についてお話を伺いました。
壁は落ち、床も盛り上がった体育館、建物自体が歪んだ寮
── 3.11当時を振り返っていただけますか?
実家に帰っている選手と寮に残っている選手がおり、私はまだ寮にいました。
地震が起きた時は何が起きたのか分からない状況で、とりあえず寮にいた選手たちと「食べ物をどうしようか」という考えが最初に浮かびました。そうしたら、近くにあるパン屋さんが「持って行きなさい」と商品をくださり、みんなで分けて食べたのを覚えています。
── 地震により体育館が壊れたと聞いていましたが、寮は大丈夫だったのでしょうか?
元々古い体育館だったのですが、壁は落ち、床も盛り上がったりして、とても練習できるような状況ではありませんでした。私は会社の方と面談をするために寮で待っていたのですが、当日先に面談へ行っていた選手もいました。会社の方は屋根が落ちてきたところもあって、急いで寮に避難するように言われて帰って来ました。寮は屋根が落ちてきたりはしませんでしたが、建物自体が歪んでしまって使えない状況になってしまい、すぐにみんなで避難所となった公民館へ行きました。翌日には炊き出しが始まり、私たちもおにぎりを作るのを手伝ってみんなに配ったりしていました。