去る10月17日、JBA(日本バスケットボール協会)による記者会見が東京都内で開かれた。主役として登壇した伊藤拓摩強化委員長の就任は先んじて発表されていたが、会見では男子代表・女子代表・3×3男女代表にそれぞれ強化副委員長のポストを設置することも発表され、女子代表の副委員長の欄には東京羽田ヴィッキーズ・萩原美樹子ヘッドコーチの名前があった。
萩原HCといえば、日本人初のWNBA選手であり、JBAでは長くアンダーカテゴリー代表の指導に携わってきた人物。そして、今年1月にその役目を終えたタスクフォースの紅一点メンバーでもあった。当時はJBAでの役職は持ちながらも、Wリーグには携わっていなかったことから、本人曰く「ちょうど良い立ち位置にいたんだと思います」とのこと。タスクフォースの最重要ミッションはFIBA(国際バスケットボール連盟)から問題視された男子2リーグ分裂の解決だったが、女子(Wリーグ)の課題にも焦点が当てられ、そこで萩原HCが必要とされたのだった。

東京羽田がWフューチャーからWプレミアに昇格した今シーズン、その開幕第2週でトヨタ自動車に連敗した10月26日の試合後に、筆者は唐突にその話をぶつけてみたのだが、聞いてみると今シーズンのWリーグの大きなレギュレーション変更に通じる内容だった。
「あまりにも前すぎて忘れちゃってるんですけど(笑)、Wリーグの外国籍選手をオープンにするかどうかというのが女子のタスクでした。結局あのときはオープンにしないと決めたんですけど、その後の10年も実はまだタスクフォースのモニタリング期間で、そこがまだハッキリと解決してないということで今シーズンからオープンになったという経緯なんです」
タスクフォースの活動が開始されたのは2015年。JBA会長やBリーグ初代チェアマンも務めた川淵三郎が改革を主導し、Bリーグ発足など日本バスケット界は急速に変化していったが、翌年にリオデジャネイロオリンピックを控えていたことから、アジアを制するなど十分な成果を挙げていた女子日本代表に関しては、タスクフォースとしてもノータッチの姿勢だった。
「オリンピックに向けて走りだしていたタイミングだったので、川淵さんも女子は強化が上手くいってるからあまり触りたくない、口を出したくないというところがあって、オリンピックに行かせることが大事だから女子は現状でいいよねという感じになったと思うんですよ。あくまでも、あのときいろいろやらないといけなかったのは男子。じゃないと女子もオリンピックに行けないかもという状況だったので、私としてはWリーグと話をして、リオ五輪へのマイルストーンを変えないことが先決だったと記憶してます」

このコメントにある「女子もオリンピックに行けないかも」というのは、当時FIBAがJBAに対して科した制裁の主たるものが代表チームの国際試合出場停止であっただけでなく、その対象が世代や男女を問わないものだったからだ。女子としては、男子2リーグ問題の余波をまともに受けた格好。実際に国際大会に出場できなかった例もあったため、萩原HCは「迷惑だなと思いましたよ」と当時の心情を包み隠そうとしなかった。今でこそ冗談半分に話せることだが、残りの半分は本音だ。
「あのとき私はアンダーカテゴリーをお手伝いしてて、高田静(日立ハイテク)たちの代だったと思うんですけど、U17が結局世界に行けなかったんですよ。ユニバーシアードのほうはギリギリで行かせてもらえましたけど、なんで男子のゴタゴタのせいで、世界に近いところにいる女子がとばっちりを受けなきゃならないのかって思ってましたね。男子のほうは今や飛ぶ鳥を落とす勢いですが、私としては『おいちょっと待て、あのときは迷惑被ったぞ』と思うところはあります(笑)」











