「また新しい歴史作りましたーーーーー!」
12月17日の皇后杯決勝、コート上での優勝インタビューに登場した馬瓜エブリンは、「恒例のヤツ、やっていいですか」と前置きして、そう叫んだ。かつて馬瓜が「歴史を変えた」のは、トヨタ自動車の一員としてプレーした2020-21シーズンのWリーグファイナル。そのときも、相手はリーグ11連覇中のENEOSだった。ENEOSは昨年まで皇后杯10連覇。東京五輪銀メダルも含め、馬瓜は何かと歴史を変える人だ。
“人生の夏休み” が明けて最初のシーズンでチームを優勝に導いた馬瓜は、言うまでもなく素晴らしい。彼女がいることが周囲に良い影響を与えたということも間違いなくあるはずだ。とはいえ、馬瓜1人の存在で歴史が動くわけではない。決勝の舞台に立ったデンソーアイリスの戦いぶりは、見事の一言に尽きるものだった。40分間のうち、ENEOSが勢いに乗った時間帯はほぼなかったと言っていいだろう。立ち上がりからデンソーのディフェンスはENEOSを苦しめ続け、一方でオフェンスは多少のタフショットも迷わず打ちきり、高確率で決めていった。
最終スコアは89-56で、実に33点差。今までは、ENEOSを相手にこのような点差で負けることはあった。むしろ、ENEOSに対しては勝つことが稀。Wリーグレギュラーシーズン1位になった昨シーズンでさえ、ENEOSには1つも勝っていないのだ。女子バスケット界にとっても、デンソーというチームにとっても、まさに新しい歴史が作られた。
Wリーグでも皇后杯でも、過去の最高成績は準優勝。皇后杯に至っては7度も決勝に駒を進めながらあと一歩が高く険しかった。そのデンソーにとっての初タイトルは、髙田真希の初タイトルと限りなくイコールに近い。2008-09シーズンに新人王を受賞した髙田は、デンソー一筋16シーズン目。髙田が入団する前のデンソーは、当時8チームのWリーグで7位か8位が指定席のようになっていたが、髙田の加入によって成績が上昇し、リーグ上位の常連に成長していった。今のデンソーがあるのは、髙田の存在があってこそ。髙田の悲願も、そのままデンソーの悲願だった。
高く険しい山をようやく登りきった髙田の優勝インタビューは、多くのバスケットボールファンの心に響いた。
「私自身、16年間やってきて初めて日本一になりました。この舞台に8度立って、ようやく達成できました。もちろん、1年目でこういう結果を持てた人もいます。何かに挑戦するときに、うまくいく人、すぐに結果が出る人もいれば、自分みたいになかなか結果を出せない人もいると思います。日本一を獲るまでに何度も負けましたけどやり続けて、こういう姿が今日見てくださった皆さんの日々の活力となってくれたら嬉しいですし、そこにこの日本一の意味があるのかなと思います」
そんな髙田の想いをある意味で最も理解していたのが馬瓜だったのかもしれない。移籍1年目ではあるが、馬瓜にとって髙田は桜花学園高の先輩。小学校5年生のときに初めて桜花学園を訪れた際に、当時2年生として在学中の髙田と出会っている。その後日本代表でともにプレーし、今シーズン再びチームメートとなったのは、馬瓜に並々ならぬ決意を抱かせた。決勝戦後の会見では「髙田選手はたぶんあと5年くらいプレーすると思うんですけど、手ぶらで辞めさせるわけにいかない。有言実行できて本当に良かったです」と、自身に課したミッションを果たした喜びを語っている。余談だが、会見で馬瓜の隣に座った髙田は、馬瓜が「あと5年くらい」と言ったのを聞いて「10年」に訂正させている。