そんな温かさを実感する出来事が、三菱電機からの移籍が決まった3年前の時点で、田代には既にあった。チーム公式SNSで加入が発表された際のファンの反応が、本人の想像以上だったのだ。
「移籍が決まった途端に、まだ名古屋にいる段階だったんですけど、ツイッターで『頑張って!』ってファンの方から言ってもらえたのと、大田区に引っ越してきたら『ツイッターで見ましたよ』とか『田代選手ですよね?』って声をかけてもらえて、なんて素晴らしい街なんだって(笑)。それがスタートだったので、そこからずっと温かい街だなって感じがありますね。私のことなんか知ってる人いないって思う部分もあったので、見てもらえてると思うと自覚が出てくるというか、もっと頑張らなきゃなって思いました」
田代にとっては思いがけない転機も訪れた。チームのスポンサーである歯科医院に現役時から勤務していたが、昨年秋に退職し、バスケットのデータ分析等ができる専用アプリを取り扱う企業に転職。東京羽田も活用しており、田代にとって東京羽田は “お客様” ということにもなった。アカデミーコーチという副業だけでなく、再び本業としてもバスケットと向き合うこととなった田代は、昨年のこのクリニックで中川氏が語っていたのと同じように「バスケットは人生です」と言ってはばからない。
「選手を辞めた後は別に全然バスケットに携われなくてもという気持ちもあったんですけど、今は違う形でバスケットの仕事をメインにできていて、バスケットで生活しているという充実感はあります。そんなに試合に出る選手ではなかったんですけど、今までやってきたことが無駄じゃなかったというか、現役のときの経験を今こうやって生かせているので、この道で間違いじゃなかったんだなって」
アスリートのいわゆる “セカンドキャリア” と呼ばれるものは、バスケット界においてもその選択肢が増えてきている状況だ。現役引退を自らの判断で決めたという田代は、自身も言うようにバスケット以外の道に進む可能性もあったにもかかわらず、今もなお生活の中心にはバスケットがある。そのことに感謝の念が絶えない今、田代の頭にあるのはバスケットへの恩返し。競技普及の一端を東京羽田に担ってほしいという想いももちろんある。
「バスケットに限らずスポーツが苦手、嫌いっていう人もいると思うんですけど、私はこうやってバスケットに関わる仕事をしているので、たくさんの人にバスケットの楽しさを知ってもらいたいし、少しでも普及の助けになればと思います。ヴィッキーズはクラブチームだから、メディア周りのことは企業よりもだいぶ自由だと思うんですよ。ヴィッキーズがバスケットを盛り上げていってくれたらいいなと思いますし、ヴィッキーズはビジュアルが良い選手もたくさんいるので、いろんな人にそこに気づいてほしいですね(笑)」
今はまだこの道も始まったばかりであり、28歳と若い田代にとってはこの先も長い。「少しずつ、地道に」というバスケット界への貢献の道を、楽しみながら進んでもらいたいものだ。
文・写真 吉川哲彦