「たぶん、ファンの皆さんには突然の話だったと思うんですけど」
それもそのはず、チームから発表があったのは10月20日。ホームの大田区総合体育館で迎える2022-23シーズン開幕戦の前日である。昨シーズンはあと一歩というところで逃したプレーオフ進出に向け、東京羽田ヴィッキーズファンの誰もが今シーズンこそはと胸を高鳴らせていた矢先の、衝撃のニュースだった。
津村ゆり子が冒頭のように語ったのは、6月下旬頃には既に腰椎椎間板ヘルニアの症状が表れ始めていたからだ。7月中旬に開催されたWリーグサマーキャンプの直前にヘルニアの診断は受けていたのだが、この時点では「動いたほうが痛くない、走ったほうが痛くない。逆に座るのが痛いっていう状態だったので、制限しながら様子を見ようということになりました」ということで、サマーキャンプには出場している。津村自身、この頃はまだ「これくらいなら大丈夫。このまま1シーズン乗りきれれば」と考えていた。
サマーキャンプを終えて一旦休息を取ることになり、8月はほぼ練習せずリハビリに費やす日々。9月上旬のオータムカップの前に練習を再開し、出場時間に制限を設けた上でコートに立った。しかし、その後症状が悪化し、開幕を前に離脱せざるを得なくなる。
「ずっと周囲と相談しながらやっていて、ヘルニアとはうまく付き合いながら、保存療法みたいな形でいこうかという話だったんです。でも、プレー中も症状が出てきちゃったりして、これはもう手術したほうがいいねということになったのが開幕直前でした」
10月中旬に入院。手術の2日後には痛みが完全に消えたという津村は、東京羽田の開幕戦当日に退院したが、「『行きたい行きたい!』って言ってたんですけど、オーさん(萩原美樹子ヘッドコーチ)から『早く戻ってきてほしいから』と伝えられて、今はやめておこうという話になった」ため、自宅でネット配信を見ることとなった。
大学時代に膝を痛め、3週間ほど休んだのが最長。大ケガと呼べるような経験は一度もなく、「未知の世界でした。3カ月も休むのは怖すぎる(笑)」と振り返るが、そのわりにはどこか達観したようなところも津村にはあった。開幕戦、昨シーズン準優勝の富士通から前半に15点リードを奪ったチームを画面越しに見て「自分がいないのにっていう、若干複雑な気持ちはあったんですけど(笑)」と言いつつ、チームメートを応援したい想いが上回った。
「もうそのときは、悔しさというよりは『みんな頑張れー!』の気持ちのほうが強かったです。手術を決めてからは、リハビリしながらみんなのことを練習で見て、自分も練習に入ってるときにはわからないことがわかるなって思いました。それまでは1人ひとりのことをこんなに見ることがなかったです。だから、『なんで自分はそこにいないんだろう』じゃなくて、純粋に『頑張れ』って思いながら見てました。あと、『ごめん!』って(笑)」
トヨタ紡織をホームに迎えた第3週には、早くも試合に帯同した。とはいえ、手術からまだ約3週間と日が浅く、試合に出るどころか、許されているのもウォーキング程度。試合前のシューティングではリバウンドでチームメートをサポートしたが、「走っちゃダメだし、しゃがむのも腰を曲げずに膝から曲げなきゃいけなくて、たぶんすごい変な体勢になってたと思うんですけど(笑)」とまだまだ制約は多かった。