「ビッグマンがいない分、1番から3番のポジションが分厚い予定だったので、津村がいないときが一番しんどかったです。今日みたいに落ち着いてプレーしてくれれば計算できる選手なんですよ。シーズンを通じてプレーしてくれれば、もっと良い選手になると思います。あとは軸丸(ひかる)ですね。今シーズンはケガが多かったんですけど、良いものは持っているので、コンスタントに活躍できる選手に作り上げていきたいです」
萩原HCの現役時代はまだWリーグという組織はなく、日本リーグという名称の実業団リーグだった。萩原HCが東京羽田の指揮を引き受けるまでの20年余りの間に、日本のバスケット界にはリーグの在り方も含めて様々な変化があった。時を経てWリーグの舞台に飛び込んできた萩原HCには新鮮な刺激も多々あったらしく、それは特に地域密着型チームだからこそ強く感じられたものでもある。
「最後にご挨拶もさせていただいたんですけど、ファンの皆さんが温かいというのが、以前はあまり気づかないところだったんです。今日は本当にたくさん来てくれましたし、本当にありがたいなと思うんです。このチームは本当に特異というか、特殊なチームだと思います。他のチームもそうですけど、チケットを買って応援に来てくださる以上、やっぱりファンの方に恥じないゲームをしなきゃいけない。それは今までになかったプレッシャーでもあり、追い風でもあるというのは、Wのコーチになって初めて感じたことです」
そしてもう一つ、決して楽なリーグではないということも、東京羽田の一員だからこそ認識できたことだ。共同石油(現・ENEOS)という国内屈指の強豪でプレーしていた萩原HCは、当時はシャンソン化粧品以外のチームに負けることがほぼなかった。東京羽田の指揮を執ったこの2シーズンは、勝ち慣れていると気づかないことに気づくと同時に、それをモチベーションにすることもできた。
「今まで解説をするような立場でENEOSだ、トヨタだって偉そうに語ってたんですけど(笑)、勝つのは容易じゃないんだな、あなたたちすごいわねって思いました。だけど、バスケットが好きで集まってくれたうちの選手を育てて勝たせるようになりたいと思うし、そこで私のコーチとしての真価が問われるのかなって。強いチームに常にチャレンジしなきゃいけない環境にいるというのは、本当にやりがいがあります。昨シーズンもそうですけど、こんなに負けるのは初めてなんですよ(笑)。うまくいかないと否定的な気持ちになるし、そういうときの心の持ち方、気持ちの切り替え方というのも経験したことがなかったので、今はコーチとして貴重な経験をしているなと思います」
日本人初のWNBA選手というレジェンドでもある萩原HCは、その豊富な経験と知性を買われ、コーチとしても主にアンダーカテゴリーで誇るべき結果を残してきた。これはもちろん契約を継続することが大前提だが、コーチとしてさらに視野が広がった萩原HCが今の東京羽田にとって必要な人材であることは間違いなく、来シーズンはWリーグという国内最高峰の舞台でも目覚ましい成果を挙げることを期待したい。
文・写真 吉川哲彦