Days of Journey ~旅路を大切にして~(前編)より続く
トヨタ自動車アンテロープスのヘッドコーチ・大神雄子は、トップレベルで争う経験の少ない選手たちにまず、カテゴリーの別なく生きたゲーム経験を重ねさせた。
今シーズンのトヨタ自動車はこんなバスケットをするんだと刷り込むためでもある。
同時に経験不足を補うため、「選手個々に自分のやるべきことを明確化している」とも言う。
ルーキーにせよ、移籍にせよ、選手たちの新たな挑戦はいつだって希望と成長、進歩を見出すチャンスである。
一方で、うまくいかないかもしれないという不安を内包するピンチでもある。
だからこそ、やるべきことを明確に伝えることは、その不安を少しでも払拭する要素になりうる。
「言語化だったり、可視化だったり、そうした作業はかなりしていると思います。たぶんミーティングも昨シーズン以上に多くしているんじゃないかな。ただそれはチームミーティングというより、パーソナルな、プライベートミーティングです。それは昨年より多いんじゃないかと思います」
大神も気づけば ── 女性に対して年齢を記すのは憚られるが ── 40歳になっている。
それでもWリーグのヘッドコーチのなかでは最も若い。
元来“人好き”で、“人たらし”な大神だけに、若い選手たちとも積極的にコミュニケーションをとり、彼女たちの視点をチャンスへと仕向けている。
むろんコーチと選手の一線は画す。
画しながらも、絶妙な距離感で選手個々の本質に迫り、個々がやるべきことを明確にしたのである。
こうして懸念されていた問題点を、ヘッドコーチ1年目の大神は一つひとつ丁寧に、しかも粘り強く解決しようとしている。
“シン” 時代
ここで改めて大神の履歴を確認しておきたい。
1982年生まれ。山形県出身。
父は大学教授、母は元高校教師。
ヘッドコーチとして導く役割を担っているのはDNAなのかもしれない。
コートネームは “シン”。
大神の「神」と、バスケット界の「神」になってほしいという願いを掛け合わせたものだ。
愛知・桜花学園高校に入学すると、1年生からスタメンに起用され、3年間で9つある全国大会では7冠。
2001年にジャパンエナジーJOMOサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)に入団すると、2018年にトヨタ自動車アンテロープスで現役を引退するまで、彼女は日本の女子バスケット界のトップランナーとして走り続けた。
活躍の舞台は国内にとどまらない。
2008年には日本人2人目となるWNBAプレーヤーとして、フェニックス・マーキュリーと契約。
2013年には中国女子のプロリーグ、WCBAでもプレーしている。
女子日本代表としても2004年のアテネオリンピックに出場し、2010年にチェコでおこなわれたワールドカップ(当時は世界選手権)では大会得点王に輝いている。
まさに “シン” は日本女子バスケット界の “顔” だった。
現役を引退すると、トヨタ自動車のディベロップメントコーチとなり、同時に3×3日本代表のサポートコーチにも就任。
翌2019年からはトヨタ自動車のアシスタントコーチとして、ルーカス・モンデーロ前ヘッドコーチをサポートした。
いかに人生を豊かにするか
そして2022年、ヘッドコーチに就任。
それを早いと見るか、順調と見るか、それとも遅いと見るか、意見は分かれるかもしれない。
しかしヘッドコーチに就任するまでの間、単にモンデーロ前ヘッドコーチの下で学び、S級ライセンスの資格取得に向けた講習を受けていただけではない。
筑波大学大学院に入学し、トヨタ自動車でコーチをしながら、コーチング学も学んでいた。
幅広い知識を得ようと考えたのである。