だがそれならば、朝から晩まで必死に練習をし続ける日本女子が金メダルを取るためには、他になにが必要だったのか。
そしてこの先も世界中が「罰と恐怖のマネジメント」を用いて、チームを運営し続ける保証はあるだろうか。
以下はエイミー・C・エドモンドソン著、「恐れのない組織」よりの抜粋である。
だがそれ以上に悪いのは、不安にはやる気を引き出す力があると、多くのマネージャーが──意識的にも無意識的にも──相変わらず信じていることだ。(経営陣あるいは成績不振の結果を)恐れさせれば、人は望ましくない事態を避けるために熱心に仕事をするようになる、ひいては会社の業績も上がる、と信じ込んでいるのである。これは、仕事が単純で、作業者が問題にぶつかることも改善を提案することもまずない場合なら、有効かもしれない。だが、学習や協力をしなければ成功できない仕事なら、不安がやる気を引き出す要因になることはない。
不安は学習を妨げる。神経科学の研究によれば、不安のせいで生理的資源が消費され、ワーキングメモリ(作業記憶)の管理や新情報の処理をする脳領域に資源が届かなくなるという。そのせいで分析的思考、創造的考察、問題解決ができなくなる。
藤岡が引退するときの心境が書かれた弊サイトの記事を読んだとき、彼女が抱いていた違和感を、わずかばかりではあるが理解できるような気がした。
僕が日本を飛び出したころ、僕の上にはたくさんの実力者がいて、日本で一番の選手になるために必死だった。
でも、もしそのとき運よく日本一のチームに所属して、アジアでもベスト5になるような選手だったとしたら、僕もやめてしまっていたかもしれない。
それくらい、周囲との温度差を自分自身が埋められなかった。
ドイツ行きの決断は、挑戦という名の逃亡だったのかもしれない。
今にして思えば、みんな疲弊していたのだ。
コーチから選手への、あるいは選手から別の選手への「強要」は、確実に対象の心を消耗させる。
「まだ足りない」
「もっと限界まで」
飽くなき向上心は、自発的に湧き出てくるからこそ意味を持つ。
「できないならいらない」
そんな不安の中に置かれ続けていれば、努力する気も削がれてしまう。
バスケットが楽しい。
試合で勝つのが楽しい。
そのためになにができるかは、能動的に見つけなければならない。
怒鳴られて身に付くのは怒鳴られない方法だけであって、本質的なバスケット力の向上には影響しない。
だから、想像してしまう。
もし、藤岡が辞めずに済むような環境であったならばどうなっていたのだろう。
例えばそれは、怒鳴られずのびのびとプレーし続けてきたことで、自分たちの可能性に挑み続ける人間の集団。
彼女がそんな仲間と共に過ごし、回り道などする必要なく、今のような視点を持てる世界であったとしたら。
きっと、日本の女子が金メダルを取っていた可能性だって、あったのではないだろうか。
そんな僕の妄想などお構いなしに、藤岡は前を見続けていた。
自分の過去と向き合い、これから切り開いていく道を手探りで進んでいくために。
彼女の信念が多くの女子バスケットボール選手を救い、一年前の自分を救い、そしてこれから新たに生まれるかもしれなかった不幸な「藤岡1.0」たちを消し去ってくれる日を、夢見させてくれる。
「もうちょっとしておけばよかったと思うのは、『変えよう』と接するのではなく、最後に変わるか変わらないかはその人次第。そのきっかけをどれだけ自分が相手のストレスなく寄り添えるかなのかなって。変えよう変えようとしすぎて、自分が壊れちゃったので。それがなければもう少し、突破口じゃないですけど、なにか改善の余地はあったのかなとは思います。」
シャンソン化粧品シャンソンVマジック #0 藤岡麻菜美
複眼進化レジリエンス
前編 ハイブリッドボーラー
後編 藤岡麻菜美2.0
文 石崎巧
写真 W LEAGUE