誰かのためにから自分のために
派手さはないが、チームに欠かせない。
そういう選手はいるものだ。
煌々と輝くわけではない。でも光る。バスケットで言えば40分という試合の中で、キラリと光る瞬間があり、それがチームを勝利に導く一助になる。
もちろん誰もが目を見張るほどの活躍をすることもある。しかしたいていの場合、フラッシュインタビューに指名されることはなく、記者会見に呼ばれることもなく、ミックスゾーンさえも静かに通り過ぎていく。
そしてまた、次の試合で同じように鈍く光る。
大袈裟だろうか。
しかし、少なくとも大沼美琴は冒頭の一文に見合う選手である。
ENEOSサンフラワーズのWリーグ11連覇のうち、7回に立ち会っている。単にそこにいただけではなく、シックスマンとして、ときにはスタメンとして、文字どおり、陰に陽にチームを支える存在だった。
その大沼がシャンソン化粧品シャンソンVマジックへと移籍したのにはいくつかの理由がある。
ひとつはケガ。昨年6月、大沼は右ヒザの前十字靱帯を断裂した。初めての大ケガだったが、それだけでなかった。「骨挫傷と、半月板……軟骨だったかな、いくつか同時にケガをしてしまったんです」。
その瞬間、大沼のなかでバスケットに打ち込もうという気持ちも切れてしまった。
「そのときは移籍をしようとは思ってなくて、辞めようかなと思っていたんです。いや、正直に言えば、それ以前、リュウさん(吉田亜沙美さん)や(藤岡)麻菜美が抜けたころから、どこか自分の気持ちが前向きじゃなくなって、体も、これまでならついていけていたのに、ついていけない感じがありました。気持ちと体がマッチしないというか……おかしいなぁ、変だなぁと思っていたときに前十字靱帯やその他もろもろのケガをしてしまったんです。それが引き金になって、昨シーズンで現役をラストにしようかなと思っていたんです」
1993年5月2日生まれ。今年で28歳になった。ベテランの領域に踏み込み始め、疲れが簡単に取れない日もある。ケガをする前の自分に戻れるのだろうか? 再断裂する可能性だってなくはない。姉の美咲さんもデンソーアイリスでプレーしていたが、高校時代からの度重なるケガもあり、4年で現役を終えている。その苦労を見ているだけに、もうここで現役に幕を下ろしてもいいだろう。チームにも「移籍をします」とは言わず、「辞めようと思っています」と伝えていた。
そんなときに2つのチームからオファーが舞い込んでくる。1つはシャンソン化粧品。もうひとつもまた、大沼のことを高く評価しているチームだった。
2つのうち、シャンソン化粧品を選んだのは、数年前から仲よくしていた小池遥と話していて、シャンソン化粧品の、若いけれども雰囲気の良さに心地よさを感じたからだ。懸念していたケガに関しても、チームは大沼の思い描くサポートをしてくれると約束してくれた。極めつけは、藤岡麻菜美の現役復帰である。高校のアシスタントコーチを務めながら、シャンソン化粧品でプレーすることになった藤岡の存在が、大沼の思いを一気に現役続行へと揺り戻した。
「私のバスケット人生も残りわずか。年齢も年齢だし、だから最後もう一回賭けてみてもいいのかな。そう思ってシャンソン化粧品に決めたんです」