苦境が導いた覚醒のとき(中編)『自らを貫くことで、開かれる道がある。』 より続く
チャンスを生かしてこそ、未来は生まれる。
些細なきっかけからバスケットを始め、目利きのアシスタントコートのおかげで明星学園高校に進んだ中田珠未はインターハイ・ベスト4が高校での最高順位である。しかし将来性を買われた中田は1年生のときにU16女子日本代表として同アジア選手権に、翌年にはU17女子日本代表として同世界選手権にも出場している。
大学は、両親と兄、いとこも通っていた早稲田大学を選んだ。歯が折れたときは泣きながら「行きたくない」と言っていた大学である。そこには高校こそ違うが、マッチアップをするなかで「自分にはないものを持っている。この人と一緒にやってみたい」と思わせた、1学年の上の田中真美子(富士通レッドウェーブ)がいたことや、アンダーカテゴリーでチームメイトだった澁谷咲月(東京羽田ヴィッキーズ)らが進学することも大きかった。
早稲田大学では、思い描いていたような試合経験を積むことができた。ユニバーシアードの女子日本代表にも選出され、国際的な経験も積み上げた。そうしたことが評価され、大学3年生のときには女子日本代表(B代表)としてアジア競技大会に出場し、翌年には谷村里佳(日立ハイテククーガーズ)の体調不良もあり、アジアカップの直前で、今度はA代表入り。試合にはなかなか出られなかったが、チームのアジアカップ4連覇を経験している。
その女子日本代表としての活動経験が中田をENEOSに導くきっかけにもなった。曰く、各チームの日本代表選手に「チーム選びを迷っている」と聞くと、先輩たちがチームの実情を、勧誘を込めて、話してくれる。そのなかでENEOSSの選手たちは胸を張って、自分たちは優勝するだけの練習をしていると言う。もちろん彼女たちは他チームの練習量や内容などを知るよしもない。それでもENEOSの選手たちが「自分たちが一番練習をしている」と言い切るだけの自信を、中田は感じ取ったのである。
ENEOSのポイントガード、宮﨑早織から「ENEOSに来て、下手になることはないよ」と言われたことも中田には響いた。多くの日本代表選手がいて、中田と同じインサイドには渡嘉敷来夢、梅沢カディシャ樹奈がいる。毎日のように193センチの渡嘉敷、190センチの梅沢とマッチアップできる環境なんて、日本のなかではENEOSをおいて他にない。
「試合経験を求めて大学進学を選んだからこそ、Wリーグでは練習がきつくて、長いといわれても、残りの競技人生を……それも20年も30年もあるわけじゃないし、そういう厳しい環境に入って、自分のできる限りのことをやってみようかなと思って、ENEOSに決めました」