父親が転勤族だった中田は、小学生のときに4度、転校している。そんなこともあって、中学は高校までの一貫校である麹町学園女子を受験した。6年間、同じ友だちと過ごしたいという思いが強かったからである。当然、明星学園の誘いも拒んだ。しかし彼女を見初めた高橋の熱心な誘いもあって、最後は自らが決断し、中学3年から明星学園中学に転校、高校のチームで練習を始めている。
どんな選手にもそれぞれのドラマがあるものだが、中田の場合、もし吹奏楽部に中田の求める楽器があったら、クラスメートが「バレー部」と言ったら、そして高橋アシスタントコーチが彼女の名前にピンと来なかったら……1つでの歯車が欠けていたら、今の中田珠未はなかったことになる。
本人曰く、「がめつく見せるタイプではない」という根性や野性味、闘争心も、その明星学園で磨かれた。といっても、椎名から指導を受けたわけではない。むしろ信念の開花である。中学でバスケットを始めた中田は、自らが導き出した信念を、全国屈指の強豪校でも貫いてみせた。すなわちフェアプレー、しかも徹底的なフェアプレーである。
たとえば審判の見えないところで、相手にリバウンドを取らせないようユニフォームの裾をつかむようなプレーがある。そうした、よく言えば「駆け引き」、やや悪く言えば「ずる賢さ」は、勝敗を分ける上で暗黙的に認められるところでもある。もちろんルール上は絶対的にNGなのだが、トップクラスになればなるほど、しかも世界レベルで見ても、それが“うまい”とされる側面もある。「知的なプレー」などと言われたりもする。
しかし中田はそうしたプレーを極端に嫌う。もちろんそういう方法があることは知っている。自分よりも身長の低い選手がセンターを務めるときなど、そうした手を使わなければ対抗できないと考えることも理解できる。しかし自分は絶対にそれをしない。するか、しないかで後者を選択したというよりも、中田にはそもそも「しない」の一択しかないのである。
「それはもう性格ですかね。今でもやられたらいやだなって思うし……だってあれだけフェアプレーを謳っているのに、そんな、見えないところでつかんだりして『え、それってフェアプレーですか?』って言いたくなっちゃう(笑)。シンプルに、ルールに則ってやるのが普通なのに『はぁん、あなた、そういうことをするのね』って結構思っちゃいます」
国内に限らず、国際大会でも、そうした“手”は随所に出てくる。国を背負った戦いにきれいも汚いもないといわんばかりである。しかし中田は信念を曲げない。むしろ自分が同じ手を使って勝ったら、そこには罪悪感しか残らない。後味の悪さを残すくらいなら、正々堂々と負けた方がましだと言うわけである。むろん負けるつもりもない。
「やり返そうとは思わないですね。むしろやられた後にドライブで抜けたら、そこで『っしゃ!』って思いますね」
やられたら、やり返す。しかしそれはルールに則った、正当なプレーでの“倍返し”である。それが中田珠未の流儀といっていい。
苦境が導いた覚醒のとき(後編)
『チャンスを生かしてこそ、未来は生まれる。』へ続く
文 三上太
写真 W LEAGUE