日立ハイテククーガーズが好調である。
開幕6連勝はWリーグが開幕した2000-2001シーズン、WⅠリーグ時代に記録した7連勝以来となる。Wリーグに昇格してからは一度もない。
新型コロナウィルスの影響で中止を余儀なくされたとはいえ、昨シーズンの最終順位は9位。その前年も9位。もうひとつ前が8位。中堅か、それをやや下回っていたチームが、カンファレンス制になったとはいえ、東地区の首位に立っていたのにはいくつかの要因がある。
まずは女子日本代表の前ヘッドコーチ、内海知秀をヘッドコーチに招聘したこと。内海ヘッドコーチは元JX-ENEOSサンフラワーズ(現ENEOSサンフラワーズ)のヘッドコーチとしても手腕を発揮している。名将と言っていい。
移籍による補強もハマった。現在のスタメン5人のうち、移籍組は3人。昨シーズン、富士通レッドウェーブから移籍した曽我部奈央と、今シーズン、トヨタ紡織サンシャインラビッツから移籍してきた佐藤奈々美。そして本編の主人公、シャンソン化粧品シャンソンⅤマジックから移籍してきた谷村里佳である。
谷村が移籍を決意したのにはいくつかの理由がある。最も大きな理由は丁海鎰・シャンソン化粧品前ヘッドコーチがチームを去ったことだ。
「バスケットとは何か、技術とは何かを教えてもらったのは丁さんでした。たしかに誰が見てもわかるとおり、本当に厳しい人なんです(笑)。でも、だからこそ自分がここまで成長できたという実感があります。丁さんの言うことを聞いて、一生懸命やっていたら、日本代表候補にも入れました。自分のなかで確信のような、丁さんに対する信頼があったんです」
その丁氏がチームを去ると知り、自分も次の一歩を踏み出すのもいいんじゃないか。谷村はそう考えたわけである。
時を戻そう。
本川紗奈生の記事に記した2007年の「U-15トップエンデバー(現U15ナショナル育成キャンプ)」。
そこに谷村もいた。
本川が中学3年生で、谷村は1つ下、茨城・守谷市立御所ケ丘中学の2年生だった。
本川にはサイズがありながらアウトサイドにこだわったという点でインパクトがあった。
谷村もまた第1次キャンプの30名から、第2次キャンプの15名に選ばれた。当然、力があることはわかっていた。
将来性も見込まれたのだろう。
しかし本川ほどの強烈な印象はない。
センターで言えば、少し上の世代に大﨑(当時は間宮)佑圭がいて、篠原恵がいて、粗削りながら渡嘉敷来夢もいた。
この子はどうやって生き残っていくのだろうか?
そう思う何人かのひとりだった。