藤岡麻菜美がその信念を貫いて引退を考えていたとき、噂を聞きつけた大学時代の同期、谷村里佳から連絡が入った。
谷村はシャンソン化粧品シャンソンVマジックを退団し、結果として日立ハイテククーガーズへと移籍するのだが、そのときはまだ移籍者リストに名前を載せている段階だ。
麻菜美とまた一緒にプレーしたい。麻菜美が行くところだったらどこにでも行くから、また一緒にプレーしよう。
しかし藤岡は、ごめんね、申し訳ないけど、それはできない、と断っている。
もちろんうれしかった。
自分のことを「一緒にプレーしたい選手」として見てくれる人がひとりでも多くいることは選手冥利に尽きると言ってもいい。
ただ、やはり心は動かない。
そこには藤岡自身が選んできた己の道に対する確固たる自負があった。
大学卒業後の進路を選ぶ際、いくつかのオファーを受けた藤岡だったが、最終的にはJX-ENEOSサンフラワーズとデンソーアイリスの2つで迷っていた。
中学、高校、大学と下剋上を目指してきたが、ここから先は、さらにその先を見据えたい。
「国内だけで見ればそれ以上のキャリアはないから、最後は日本代表に行きたいと考えて、そのために一番いいのはJX-ENEOSなのかなって思ったんです。4年経って、今の状況を見てみたら、そこでの自分の選択が間違っていたのかもしれないなって思うこともあります。でもJX-ENEOSに入ったことはまったく後悔していません。JX-ENEOSだからこそできた出会いや経験もあるし、2017年にアジアカップでベスト5を取れたのもJX-ENEOSに行っていなければ絶対に取れなかったと思うから。後悔はしていません」
もしタイムマシンがあって、大学4年生の自分に会えるとしても「JX-ENEOSはやめておきな。あなたとは考え方が違うよ」とは伝えない。楽しいことも、ツラいことも、JX-ENEOSという日本最高峰のチームにいたからこそ経験ができた。それは今後の人生に役立つと考えている。
ただ一人だけ、スタッフの言葉にも、チームメイトの言葉にも気持ちが揺るがなかった藤岡がその言葉で揺さぶられた人物がいる。
他ならぬデンソーの髙田真希だ。