part1「もう本当に続けてもダメかな……」より続く
過程にこそ結果以上の価値がある
高校を卒業するまで大きなケガをしたことのなかった藤岡麻菜美だが、筑波大学進学後は1年おきに大きなケガ、もしくは病気に見舞われていた。
しかし藤岡が引退を決意したのはそれらのケガや病気だけが理由ではない。そこには藤岡の信念、藤岡麻菜美という人間の生き方も色濃く反映されていた。
「JX-ENEOSだからこそ学べたことはたくさんありました。コートのなかでも、コートの外でも……いい意味でも、悪い意味でも……」
藤岡を最も苦しめたのは2018-19シーズンだった。この年はJX-ENEOSがリーグ史を塗り替える11連覇を成し遂げた年で、藤岡自身は大きなケガや病気にも見舞われず、また吉田亜沙美に代わってスタメンの座に就いたシーズンでもあったが、藤岡は日々苦しみの淵にあったと明かす。
確かにスタメン起用された藤岡の動きには前年のアジアカップで各国を驚かせたようなキレはなく、どこか悩みながらプレーしているような重苦しさがあった。前シーズンを棒に振った骨盤の剥離骨折と、右大腿筋膜張筋筋膜剥離が影響しているのかとも思われたが、どうもそれだけではないらしい。目には見えないチーム内の齟齬があったというのだ。
JX-ENEOSの正ポイントガードを務めることへの喜びを感じつつ、一方で任された以上はコートにいるほかの4人をまとめなければいけない。しかしなかなかうまくまとまらない。自らのバスケット観を封印してでもチームメイトの意見に寄り沿おうともしたが、大きく変わることはなかった。
「正直に言えば、当時は『リュウさん(吉田)がスタメンで出ればいいじゃん。なんで私がスタメンなの?』って思いながらやっていました。本当にどうしていいかわからなくて、いっそのことわずかな出場時間でもいいからセカンドチームで出してほしいって思ったりもしたんです。小学2年生から始めた私のバスケット人生のなかで初めて体育館に行きたくないって思いました。骨盤のケガから復帰してやっとバスケットができるようになったから楽しいはずなんですけど、『もういいや……体育館? 無理、行きたくない』ってずっと思っていたんです」
そんなふうに思ったことは一度もない。ただの一度もだ。それが日本最高峰のチームでスタメンの座に就いた途端、自分が自分じゃなくなっていく。そんな感覚に陥ってしまった。
それでもチームは負けなかった。6連覇を達成した皇后杯明けの富士通レッドウェーブ戦と、プレーオフ直前のトヨタ自動車アンテロープス戦こそ敗れたが、チームを揺るがすほどの大きな痛手になることはなかった。