上記の皇后杯がおこなわれる数週間前にも母校・千葉英和高校を訪れ、「早く千葉英和の教員として戻ってきてほしい」と懇願する恩師・森村義和に「まだ東京オリンピックもあきらめていないし、少なくともパリオリンピックまでは頑張ります」と言ったばかりだった。
「自分でもびっくりしました。こんなにまであっさりと『別にいいや』って思ってしまうものなんだって」
今となっては笑ってしまうほどの気持ちの急変だったが、次に続く言葉を発するときにはその笑みも消えていた。
「目標が東京だからとかじゃなくて、バスケット自体が楽しめていない。これからも楽しめないだろうなって思ったから、引退を決めました」
移籍も頭をよぎったが、それも一瞬だった。JX-ENEOSを選んだのは他ならぬ自分だ。自分が選んだ道の決着は自分でつけたい。
もちろん周囲からも引き留められた。
最初に引退の意向を伝えた同期の2人、宮澤夕貴と大沼美琴からは「もう少し一緒にやりたい」、「もう1年一緒に頑張ろう」と言われた。誰よりも特別な思いを持つ同期である。彼女たちに引き留められれば、あわよくば心が動くかもしれない。消えかかっていた火がまた勢いを取り戻すかもしれない。
そう思っていたが、心は動かなかった。
むしろ2人の思いを受け止めながら、冷静にそれをいなす自分自身に驚いた。
「これはもう本当に続けてもダメかな……」
その後、チームスタッフである高橋部長、佐藤監督、梅嵜ヘッドコーチにも「まだ引退するのは早いだろう」と引き留められた。「リュウ(吉田)の例もある。続けているうちに気持ちが高まることだってあるんじゃないか」と慰留してくれたが、気持ちは変わらなかった。
「やりながら気持ちが戻るか、戻らないかなんて、言ってしまえば賭けみたいなものですよね。自分としてはそんな賭けみたいな、中途半端な気持ちでバスケットを続けたくなかったんです。Wリーグという舞台はそういうところじゃないし、バスケットを本気で仕事をしているわけだから。中途半端な気持ちでプレーすることがすごく嫌で、やるならきちんとやるという気持ちになってやりたかった。でも現時点ではやりたくない。だから中途半端な気持ちのままやりたくないですって伝えました」
その後も話し合いの場は何度か持たれた。スタッフ陣からはリーグへのエントリーまでは時間があるから、もう一度考えてほしいと言われたが藤岡の気持ちは揺らがなかった。
JX-ENEOSは藤岡の引退を了承した。
part2「過程にこそ結果以上の価値がある」へ続く
※JX-ENEOSサンフラワーズは2020-21シーズンより「ENEOSサンフラワーズ」に名称変更をしたが、本記事は改称前の「JX-ENEOSサンフラワーズ」で統一します。
文・写真 三上太