※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2017年11月末発行vol.15からの転載
意外にも渡嘉敷来夢が自分を“規格外”だと認識し始めたのは、JX-ENEOSに入団してからだと言う。
「高校のときもあまり実感はなかったですね。高校生だったし、上には上がいるんだろうと思っていたから……。Wリーグなど上のレベルの人をあまり知らなかったということもあるけど、そんなに自覚はしていませんでした」
彼女が通う高校、愛知・桜花学園の井上眞一コーチは、本人にこそ言わないが、彼の周りにいる人たちに「渡嘉敷は100年に1人の逸材だ」と吹聴していた。その言葉を人づてに聞いてもなお、本人は「先生は何を言っているんだろう? 100年も生きていないのに」と、まともに取り合っていなかった。むしろ恥ずかしさのほうが先行していたそうだ。
しかし桜花学園を卒業し、JX-ENEOSに入団すると、1年目に新人王とレギュラーシーズンのMVPを同時受賞する。これは長い日本女子バスケットの歴史のなかでも唯一の記録である。
「このときに『自分ってこのリーグでも通用するんだな』と思いました。高卒で通用するってことは“規格外”というか、『これはみんなと一緒じゃダメなんだ』という感じはしていましたね」
認識は同時に“規格外”としての自覚と責任をももたらしたわけである。
日本の規格外、世界の規格外を知る
そんな渡嘉敷が、さらなる高みを目指してアメリカ女子プロバスケットボールリーグ・WNBAに挑戦し始めたのは今から2年前のこと。
「もう向こうは規格外ばかりでした。日本の規格外が行っても、アメリカでは“規格外”の『規』の字にも入らないくらい。スター選手も多いですし、アメリカ代表に選ばれなくてもすごい選手がたくさんいるので、リーグそのものが規格外の集まりみたいな感じでしたね」
しかし怯んでいるわけにはいかない。むしろ自分が簡単に通用しなくなる環境を求めて渡ったアメリカである。
日本では渡嘉敷がゴール下でボールを持ったら、相手チームはどうしても失点を覚悟しなければならない。もちろん2人がかり、ときには3人がかりで止めに行くのだが、身長差は簡単には埋まらない。シュートが外れるとしても、それは渡嘉敷の単なるミスであったり、フィジカルやメンタルの未成熟さだったりする。シーズンを重ねながらそれらを克服してくると、もはや寄せ付けるものはなかった。渡嘉敷がアメリカに自らの“伸びしろ”を求めていったのは当然の選択と言っていいだろう。
「日本では190cmの選手がドリブルを突いてボールを運んだり、外からドライブをすることもないですよね。180cm台でもまだ少ない。でも向こうではそれが当たり前で、センターがドライブをしたり、外から打ったりするんです。ダイアナ(・タラシ。アメリカを代表するスコアラー)なんて183cmで2番ポジションですからね。だから自分もそういうスキルを身につけなきゃ世界では戦っていけないのかなってすごく感じました」
彼女が所属したシアトルストームでは1年目こそ、アウトサイドからのドライブやシュートを求められた。渡嘉敷も真剣にそれらに取り組み、少しずつ手ごたえのようなものも得ていたと言う。
しかし2年目、渡嘉敷と同じポジションに、同じサイズのブレアナ・スチュワートが入団してくる。コネティカット大学で4年連続の全米チャンピオンとなり、同時に4年連続で最優秀選手に選ばれた、アメリカの未来を嘱望された選手である。
そこから渡嘉敷の歯車が少しずつ狂い始める。3番ポジションを明け渡し、日本と同じ4番ポジション、ときには5番ポジションを求められるようになったのだ。
「日本よりは大きい選手がたくさんいるので、そういう部分でプラスになればいい。自分よリも大きい相手、強い相手、うまい相手とどう戦うかを考えてやっていたかな」