スポーツに携わる仕事をしていて心から楽しいと思える瞬間がある。選手の成長を目の当たりにするときだ。もちろん彼、もしくは彼女のすべてを知っているわけではない。むしろほんの一部分、彼らの選手としての顔と、人としてのちょっとしたエピソードくらいしか知りえない。それでも彼、もしくは彼女が徐々に大人になっていくさまを見ていると、自然と心が穏やかに、そして晴れ晴れとした気持ちになる。
八村塁もその1人だ。
5月11日、八村が今後の進路について記者会見を開いた。日本バスケットボール協会の事務所でおこなわれた会見にはテレビ局や新聞社、専門誌、ウェブサイト、そしてフリーランスのライターにいたるまで数多くのメディアが駆け付けた。それだけ注目に値する選手であることを示している。
八村はその席で、NCAA(全米体育協会)ディヴィション1に属するゴンザガ大学への入学に大きく前進したことを発表した。まだ正式な入学とは言えないそうだが、それでも近日中に渡米し、ゴンザガ大のESL(English as a Second Language――英語が母国語でない学生のために設けられた学習プログラム)に入り、勉強を重ねながら9月の正式入学に備える。
発表に続けておこなわれた質疑応答では、これまでの経緯や今後の目標、日本で学んだこと、オリンピックについてなどの質問が矢継ぎ早になされた。彼はその一つひとつに、長くはないが丁寧な答えを返していく。
並み居る記者たちの質問を1人で受け、答えるさまを見て、当たり前のことだが「成長したなぁ」と思わずにはいられない。はっきり答えようとする姿勢こそ、中学時代と変わりはないが、それでも自信にあふれ、堂々と自分の考えや思いを伝えようとしている姿は、4年前の彼から想像できなかった。
4年前、八村のいる富山市立奥田中学を取材したことがある。彼が中学3年のときだ。といっても、取材対象はコーチである。全中(全国中学バスケットボール大会)後ということもあって、八村自身も部活動を引退しており、練習には参加していなかった。それでも埼玉全中を含めて何度か取材はさせてもらっていたので、進路のことは当然気になる。
その話をコーチに向けると、「まだ決まっていない」と言う。しかし記憶に残っているだけで明成を含めた3校の全国強豪校の名前を挙げてくれた。もちろんオファーした高校は3校どころではないだろうが、今はそのあたりで悩んでいるところだと。そしてそのときは、明成ではない高校を本人は希望していると聞かされた記憶がある。なるほど、あそこか、と――。
しかし蓋を開けてみると、彼は明成を選んでいた。その明成で実力を磨き、結果を残し、世界に出ていき、アメリカ進学への切符をつかんだわけだ。
大学に入るために勉強に明け暮れた最近を振り返って、八村はこう言っている。
「今まで勉強をあまりしてこなかったので、大丈夫か不安もあったけど、明成高校が僕を助けてくれて、勉強もすごく見てくれました。(卒業しても)ほったらかしにしてくれなかった。(佐藤)久夫先生も(卒業後も仙台に)残ると聞いてすぐに『バスケットにも来い』と言ってくれて、それがすごく嬉しかったです。いい高校に出合えてよかったです」
あのとき聞かされていた別の高校に進学していたら、どうだったのだろう? と思わずにはいられないが、もはやそんなことはどうでもいい。八村は明成を選び、佐藤コーチのもとで「一生懸命を楽しむこと」を学んだ。それを持って渡米する。
八村は中学時代から「夢はNBAでプレイすること」と公言し続けてきた。進学をアメリカに決めたのも「NCAAがNBAに一番近い場所だと思う」からだ。そこでプレイするチャンスがすぐ目の前にある。夢は手が届きそうな“目標”に変わったのだ。
「(中学時代に)夢として見ているときは過程を想像することなく、ただ夢だけを見てきました。それがだんだん現実になってきていると思うと、ゾクゾクするときがあります」
そう言って見せる笑顔は中学3年生のときと何ら変わらない。それどころか目の輝きはますます増している。そんな希望に満ちた笑顔を見ていると、こちらもゾクゾクしてしまう。彼なら本当に夢を叶えるのではないかと。
もちろん得意でない勉強と、これまで以上にレベルの高いバスケットとの両立は、入学試験のための勉強以上に苦しむことになるだろう。そこからNBAに入ることだって、けっして広き門ではない。苦痛の表情を幾度となく浮かべるかもしれない。それでも最後は笑顔を取り戻し、自らの道を切り拓くはずだ。八村の笑顔にはそんな力がある。
文・写真 三上太