男子の初出場校は環太平洋大学だけである。今年を含めた3年間は出場機会に恵まれていないが、女子バスケ部は過去7回の出場を誇る。当然、男子バスケ部も存在するものだと思っていたが、今年で発足2年目のできたばかりのチームだった。
大会前に出場校のロスターをチェックするために見ていたウェブサイトに驚かされる。「新しい風を!」という見出しともに書かれていたのが以下である。
「同好会」より、「体育会」に昇格して2年目。 目標を「インカレ出場、そしてインカレ優勝」に設定し、活動をスタートさせました。(※環太平洋大学ウェブサイトより引用)
そう、2年前はインカレにつながらない同好会だった。そこから、男子も強化したいという理事長の思いとその理念に感銘を受け、チームを率いることを快諾したのが森億ヘッドコーチである。それ以前は宮崎県の小林高校、宮崎工業高校、大宮高校で教鞭を執る一方でバスケ部の顧問をしてきた。ご存じのとおり小林高校時代は国体優勝、インターハイとウインターカップでも準優勝という輝かしい成績をおさめてきた名将だ。大学でバスケを教えるのは環太平洋大学がはじめてだが、高校バスケで培った指導力と昔から見続けてきたインカレを実体験できたことで確信を得る。「どうすれば良いかが見えてきました。小林高校時代と同様、非常識を常識に変えるバスケを見せていきたい」と、日本体育大学に62-119で敗れた直後にも関わらず、やる気に満ち溢れていた。
同好会から体育会に昇格させるのは簡単な話ではない。バスケをやる意義や主旨が違う。キャプテン#22上園隼太選手(4年)に至っては「同好会が良い」と思って入学してきた。昨年、体育会になる話を聞いたときの本音は「嫌だった」。実際、辞めていった仲間たちも少なくはない。まとまらない状況を引っ張ったのが、唯一残った昨年の4年生、岡村治希さんである。森ヘッドコーチも、「岡村君が本当にがんばってくれました。彼のおかげで今があります」と感謝は尽きない。乗り気ではなかった上園選手も「治希さんのためにがんばろうと思い、吹っ切ることができました」。多くの葛藤と同じ数だけ決断した結果、環太平洋大学男子バスケットボール部の活動がはじまった。
アウトプットさせなければ、新たなことをインプットできない
同好会でもバスケを楽しむことはできる。一方、体育会になればインカレへの道が拓ける。「インカレ出場、そしてインカレ優勝」という大きな目標に向かって舵を切ったが、昨年のリーグ戦は1勝もできず、入替戦でなんとか1部に踏みとどまるギリギリの状況だった。
森ヘッドコーチは男子バスケ部を強くするためにやってきた。もちろんバスケを教えるつもりだったが、「まだそのレベルに達していない」と感じる。バスケを教える以前に「自分の思いを具現化する表現力などが足りない」ことに気付き、意識改革をさせることから着手した。
「選手たちは皆、小中高とバスケをやってきたはずですが、アウトプットするのが苦手という感じがしました。アウトプットができなければ、いくら教えてもインプットすることはできません。日本の学校教育はインプットすることばかりなので、どうしても消化不良を起こしたり、聞き流してしまう状態になってしまいます。まずはアウトプットさせることに専念し、それができれば自ずといろんな情報が入っていくものです」
それに気付いたのはこの夏のこと。森ヘッドコーチは教えることを我慢し、俯瞰して見るスタンスを取った。代わって、元男子日本代表ストレングスコンディショニングコーチを務めた國友亮佑コーチに、足りない部分であった身体作りに注力させる。トレーニングは辛いものだが、國友コーチはみんなで盛り上げながら一緒に辛いことを共有させ、チーム力向上を自然と促していった。上園選手は辛い記憶とともに、「有意義な時間を過ごすことができました」とチームにとってプラスだったと実感している。
森ヘッドコーチが指導を我慢したことで、バスケを始めたときからインプットしてきた多くのことを、自らアウトプットできるようになり好循環が生まれはじめる。1勝もできなかった昨年のリーグ戦とは違い、5勝2敗で中国2位となり、早くも一つ目の目標達成となるインカレ出場を決めた。
『いいからやってみろ!』の声がけに解き放たれて持てる力を発揮した選手たち
高校時代に全国大会に出場したのは、#10粟飯原稜選手(神戸科学技術高校)だけ。その粟飯原選手をはじめ、今年入学してきた1年生が主体となり、9人がロスターに入っている。1年生以外でインカレのコートに立てたのは、上園選手と#0麦田璃空選手(2年)しかいなかった。
「インカレのコートに立てたからこそ感じられたうれしさや恐さなど、周りに聞くだけでは分からないことを体感できたことが一番大きかったです。選手たちは楽しかったと思います。でも、それ以上に悔しかった方が大きかったはずです。今から高めて、さらに極めていきたいですし、それは私も同じです。大学で教えるのははじめての経験ですから」
森ヘッドコーチは先々を見据え、貴重な試合に全てを賭けていた。コートに出る選手たちには、「いいからやってみろ」「引かずにやれ」とポジティブな声をかけ続ける。その言葉に勇気づけられた選手たちは、第2クォーターには思い切り良いプレーが見られるようになった。「高校時代はほぼ控え選手でも、やればできるんです」という森ヘッドコーチは、ほぼバスケを教えてはいない。メンタルを解放させたことで本来の力を発揮できたのだ。
同好会のままでは得られない経験をできた上園選手は、「ひと言で言えば、『楽しかった』に尽きます。体育会になっても続けてくれた仲間に感謝しながら、この舞台に立ちました。みんなで暴れよう、楽しもうと言い、その通りになりました」と笑顔を見せた。
今日がゼロ地点!『2年後を見ていてください』
来年も有望な1年生が入って来るそうだ。新チームになれば、選手たちは森ヘッドコーチにバスケを教えてもらえるのかが気になる。
「少しは教えると思いますよ(笑)。選手たちが自ら表現できるようになったことでここまで来ました。それまではずっと空回りしていましたからね。まだまだ足りない部分もありますが、アウトプットできるようになったことで歯車が周りはじめたので、これから一気に行きますよ。2年後を見ていてください。今の1年生が3年生になったとき、その成果を見せられるように一つひとつ作っていきます」
森ヘッドコーチの言葉には、自信がみなぎっていた。バスケを教わることはあまりなかった上園選手だが、この2年間は刺激的だったようだ。
「森先生のバスケに対する切り口はすごくおもしろかったです。バスケと私生活がつながっていることを教えてもらいました。これから社会人になるにあたり、バスケを通して多くのことを学ぶことができました」
目標としていたインカレ出場を果たした「今日がゼロ地点です。今までのことがなかったのではなく、マイナスながらもスタートできたからこそ、ようやくゼロに持ってくることができました。先輩たちの思いを大切にし、ここからさらに上がっていくだけです」と森ヘッドコーチは言い、環太平洋大学男子バスケットボール部の歴史が動きはじめた。
文・写真 泉 誠一