仲間たちがチームを去って行き、「モチベーションが下がる時期も正直ありました。1年目は全然試合に出られず、当時の4年生たちがメチャクチャうまかったです。でも、先輩たちも毎日夜遅くまで自主練をしている姿を見て、それを見習ってきたことが今日の結果につながったと思っています」と景井もまた、努力を怠らなかった。先輩たちから受け継いだチームの伝統を継承できるのも、景井しかいない。努力することこそ、「OBの方々が築いてきた歴史であり、遺してくれたもの。それを僕がつなげていかなければいけない」という役割を全うした。
宇田監督もこれまでの歴史を振り返り、「最初は0人からスタートして、1年目は6人ほどだったので誰か1人でも休めば、私が練習に入らないと3対3もできず、なかなかゲームもできない状況でした。でも、努力し続けてくれたことで、全国の舞台にも立てるようになり、学生たちは本当にここまでよくがんばってくれました。卒業していったOBに助けられ、ここまで来られたと思っています」と感慨深い。
ラストゲームは点差がついたこともあり、ベンチメンバーも含めて全員出場を果たす。景井は、仲間たちとともにインカレのコートに立つことができた。
「4年生が1人しかおらず、他の学年は人数がいる分、下級生に頼ってしまうことの方が多かったです。だからこそ、自分が抜けてもやっていける自信というか、そういうチーム力はすでにあると思っています。来年もまたこの舞台に戻ってきて、チーム目標であるグループステージ突破を次こそ成し遂げてくれると期待しています」
景井のネクストステージは、「全然何も決まっていないし、まだどうなるかは本当に分からないですが、まだまだ努力を続けてBリーグに入りたいと思っています」とプロを目指す。全国大会とは縁遠かったが、同期や先輩がほとんどいなくなった3年生のとき、「自分が前に出て引っ張らなければいけない状況になったことで、もっと上を目指したいという気持ちになりました」と上を向いた。宇田監督の下で学び、「すごく頭の良い方でハイレベルなことを常に教えてくれましたし、感じさせてくれました。他の大学とは教えてもらうレベルが全然違うことを日々感じていました」と岡山商科大学の環境もプロ志望のきっかけとなった。
同じ4年間であり、同じ世代の選手が競い合う学生バスケであり、毎年のように初出場が出てきてもおかしくはない。だが、実際は狭き門であり、インカレの男子チームでは岡山商科大学と八戸学院大学の2チームのみ。ここにたどり着いたとき、ようやく経験値のカウントが加算されていく。これを足し算にするか、かけ算しながら一足飛びに順位を上げて行けるか。インカレを知る宇田監督は、さらなる覚悟を持ってこれからも挑み続ける。
「大学生にとって1番特別な舞台がインカレであり、みんながここを目指して一生懸命努力し、それでも立てない選手の方が多くいます。その中でこのコートに立てたことは我々の財産になります。これで終わりではなく、常にこのコートに戻って来られるように、また今回は関東や関西のチームと対戦する機会はなかったですが、それらのチームにも互角に戦っていけるように、これからもがんばっていきたいです」
文・写真 泉誠一