日本一を目指していた開志国際高校時代とは違い、今年以外は3部だった玉川大学。入学当初はコロナ禍であり、ほとんど部活動に出られなかった。吉川は2年次には見聞を広げるために海外留学もあり、3年の夏から本格的にチームに加わった。最終学年となった今年はキャプテンに任命された。高校時代にトップを目指していたからこそ、「いろいろと苦悩はありました。環境の違いや一人ひとり選手の意識の違いなど、本当にいろいろありました。でも、今年が1番、選手が自立できており、それぞれが考えながら練習し、試合にも臨んでくれました。チーム全体として、試合の中での対応力は高まっていたと思います」と吉川は話し、高校時代と変わらぬ熱さで取り組んでいた。
玉川学園全体としてウィザーズとの交流を深める機会
玉川大学と言えば、ワシントン・ウィザーズ(モニュメンタル・スポーツ&エンターテイメント社)とパートナーシップを結ぶ、唯一の日本チームである。昨年はジョージ・ミュアサン氏が、今年はハーヴェイ・グラント氏とモーリス・エヴァンス氏の元ウィザーズ(旧ブレッツ)のレジェンドが来日し、子どもたちを対象としたクリニックを実施(詳細は玉川学園サイトにて)。バスケ部の選手たちがサポートに入り、「昼食会にも参加させてもらって、選手たちと交流する機会は多々ありました」という吉川らがうらやましい。「玉川大学にはジュリアスという強豪ダンスドリルチームがあり、彼女たちもウィザーズ・ダンサーズから教えてもらっていました。玉川学園全体としてウィザーズとの交流を深める機会になっています」と吉川が言うようにバスケだけではなく、また幅広い世代に刺激を与えている。これをきっかけに、いつの日か玉川大学から、ウィザーズへドラフトされる2人目の日本人選手が誕生することを心から願う。
3部降格となった玉川大学だが、「結果としては負けましたが、たぶんこのリーグ戦の中で1番成長したチームだと思っています」と吉川は胸を張る。「苦しい試合も多かったですが、一人ひとりが精神的にも技術面的にも成長できました」と続け、2部で得られた経験を後輩たちに託す。
「今年は、玉川大学での4年間で1番バランスの良いチームだったと思います。一人ひとり特徴があって、強みもあって、その中でできない部分をどうやってチームで補っていくかが課題でもありました。3部降格という結果にはなりましたけど、1年をかけてとても良いチームを作り上げられたと思います。卒業生として、これからの活躍をすごく楽しみにしています」
文・写真 泉誠一