ワールドカップを見て沸いてきた熱い思い
ここまで大きなケガをしたことがなく、これほど長くバスケから離れたこともない米須にとって、「悔しいし、なんかここで終わっちゃうのかなとも思いました」と当時の心境を振り返る。まわりの支えにより、立ち直ることができた。
「家族と話をしていて、大学のうちにケガをして良かったではないですけど、今この経験をすることで復帰するときに役に立つというか、次にレベルアップして復帰することが自分のプラスにもなるなど、いろいろな声をかけてもらいました。まわりの選手たちからも、なんか優しい声をかけてもらいました。その中で自分はリハビリ期間にできることをしたからこそ、チームのためにレベルアップして復帰できたかなと思っています。まわりのみんなの支えがあったからこそ、がんばれました」
インタビュー中、日本体育大学のムトンボ ジャンピエールが横切り、お互いに声をかけ合った。昨年のインカレ時、「米須のいない日大はやっぱり少し違います。来年になれば、きっと米須も帰ってくると思うけど、そうなるとさらに難しくなります。もちろん、それでもがんばります」と話し、ジャンピも米須のケガを心配していた一人である。東山高校時代のコンビも今はライバルであり、「相手というのは結構厄介ですけど、でも自分の中ではとても負けられないという気持ちがあります。日体大戦は絶対に勝ってギャフンと言わせたいです」という伝統の一戦は、10月7日(土)にアダストリアみとアリーナで実現される。
「みんなと一緒に寮で応援していました」と米須も、ワールドカップを戦う日本代表の雄姿を目に焼き付けていた。すでに復帰していたこともあり、「やっぱり元気をもらったというか、河村(勇輝)さんは本当にすごいなと思いました」と高校時代から日本一を争ってきたポイントガードに刺激を受ける。同時に、熱い思いも湧いてきた。
「でも、自分もその舞台に立ちたいと少し思って、ちょっと悔しい気持ちがあったんです。日本バスケがこれだけ盛り上がっているので、自分もそれに乗っかってこれから上を目指していきたいと思いました」
変わらぬ身長、同じ世代の活躍は自分事として置き換えて日本代表を考えることができる。河村だけではなく、最後に落選してしまったが、同い年の金近廉(千葉ジェッツ)の存在も、日本代表は夢ではなく目指す場所だと感じさせてくれた。
「金近も候補に選ばれていて、日本代表は年齢関係なしに選んでもらえる場所だと思っています。今の日本のバスケはやっぱりトランジションが多くなっており、そこは自分の武器でもあるので、どんどんアピールして日本代表に食い込んでいけるようにしたいです」
4年前は、世界に歯が立たなかった先輩たちを見て、フィジカルをはじめとしたその差を埋めるためにも、大学の時期からはじめなければならない危機感を抱いた。今回は成功体験を共有できたことで、米須であればスピードのように、それぞれの武器を磨くことがさらなる底上げとなる。
文・写真 泉誠一