当時の鹿屋体育大には延岡学園でインターハイ優勝を経験した月野をはじめ、全国大会の経験者は少なくなかった。「自分はと言うと高校(宮崎県立宮崎西高校)の最高成績は県大会ベスト4。そんな自分がこのチームを率いることができるのか。先輩たちに指示を与えたりすることができるのか。すごく悩みました。大変でしたか?と聞かれたら『大変なことしかなかったです』と答えますね(笑)」
しかし、あちこち壁にぶち当たり、試行錯誤の日々を繰り返しながら学生コーチの3年間を全うした金本監督は卒業後に進んだ東京エクセレンス(現横浜エクセレンス)でプロの戦略戦術を学んだ。同時にアカデミースクールで中学生や小学生の育成に携わったことも貴重な経験になったと言えるだろう。大学、プロ、育成世代、そして、藤枝明誠での7年間、迎えたウインターカップは金本監督がこれまで培ってきた全てを出し切りたい大舞台だった。
昨年の藤枝明誠は外野席から見ていても驚くほどの成長曲線を描いたチームだったと言える。
「キャプテンの上野にはたくさん厳しいことも言いましたし、本人は悩んで時には泣くこともありましたが、それを乗り越えてすばらしいキャプテンになってくれた。谷(俊太朗)と霜越はそろって負けず嫌いでチームの雰囲気が悪くなるといつでも大声で仲間を鼓舞してくれる。彼ら3年生が3本柱としてチームを支えてくれたことは間違いないです。そのおかげで2年生エースの赤間や1年生のボヌ ロードプリンス チノンソが伸び伸びと躍動できました。戦うたびに成長していく姿は本当に頼もしかったです」
ほぼノーマークだったインターハイでは仙台大附属明成(3回戦)に快勝し、続く準々決勝では北陸を100点ゲームで下した。優勝候補の筆頭福岡第一に挑んだ準決勝は78-84で敗れるも堂々たるベスト4。金本監督は「この夏を境に選手たちの顔つきが変わった」と言う。「自信を付けたんだと思います。みんなが『俺たちはもっとやれる』と思い始めていました」。5月にナイジェリアからやって来たロードプリンスは当然一言も日本語が話せなかったが、選手たちは片言の英語でコミュニケーションを取り、ロードプリンスも覚えたての片言の日本語でそれに答えた。「片言の英語と片言の日本語で意思を伝えあおうとする彼らの姿はどこか微笑ましかったです。でも、なんて言うんでしょうね、簡単に伝えられないからこそ互いに相手の思っていることを必死に汲み取ろうとする。相手の言いたいことを推しはかって懸命に理解しようとする。そのこともまたチームを1つにする要因になったような気がします」