「もうこれで終わりだから最後までやるぞ、って。大学生って勝ってると手を抜いちゃうところがあるじゃないですか。それはやめよう、最後まで全力でやろうぜっていう話をしました。全力でプレーできましたし、みんながチームのためにプレーしようというのがうちのスタイルで、それは今日もいつも通りできてて、そこに気持ちがちょっと上乗せされたかなと思います」
大学生活最後の公式戦を、「最後にこのチームで1年やってこれて良かったって思えるようなチームに」と掲げた目標の通り、会心の内容で戦うことができた棚橋。試合を終えた直後、4年間の一番の思い出に「今日ですかね。この試合が一番の思い出かもしれないです」と語ったのは、おそらく必然だったのだろう。努力を重ね、仲間と苦楽をともにした4年間の集大成は、1つ負けたら終わりだったはずのインカレの大会方式が変わったことで、勝利という結末になった。それも、棚橋と新潟経営大にとっては良い巡り合わせだった。
「すごい結果が出たという4年間ではなかったし、どこかターニングポイントがあったとか、これが印象に残っているというよりは、毎日みんなで頑張ってきて、楽しい思い出がいっぱいあって、その積み重ねがあったから今日みんなでナイスゲームができた。今日の40分間は本当に楽しかったです」
棚橋は1998年生まれの24歳。一般的な大学4年生よりも2歳上だ。「もともと4年制の大学に行く予定もなかった」という棚橋は、高校卒業後の進路に専門学校を選んだが、その間に国体成年チームに選ばれたことで田巻信吾監督と出会い、2年遅れで新潟経営大に入学している。そもそも、卒業した新潟工業高も棚橋が生まれた頃までは県内屈指の強豪校だったが、その後新潟商業がインターハイを制し、帝京長岡や開志国際も台頭してきた現在の新潟県では上位校とは言い難く、棚橋はエリートコースを歩んできたわけではない。
しかし、そんな一見遠回りに見える道でも、棚橋は「ご縁があってこの大学でプレーできたことが本当にありがたいなって感じながら過ごせる毎日だった。本当に充実してました」と振り返り、その道を正解にしようと努力してきたという自負も持つ。プロを目指す上で、棚橋は自分が目立つことよりもチームを勝たせることを重視してきた。ここでもまた、必ずしも王道ではないスタイルを選択したというわけだ。