トーナメント形式のインターハイは負ければ終わり。しかしインターハイで負けても、次がある。国体は年齢制限をされているにせよ、ウインターカップで借りを返すことができるのだ(もちろん予選を突破しなければならないという注釈は付くが)。インターハイで “敗れてもなお” 、目に留まった選手、チームを紹介していきたい。
何かの本で読んだことがある。
強いチームは負け方もうまいのだ、と。
尽誠学園もそうしたチームだと思っていた。
渡邊雄太が2年生のとき、チームとしての尽誠学園を見初めて以来、ほぼ毎年のように見てきた。
むろん毎年すべての試合を見られるわけではないのだが、そのなかで、たとえ負けるにしても、「ああ、尽誠らしい負け方だったな」と思わせる試合を数多く見てきた。
しかし今夏の四国インターハイ2022の負け方は、そこから少しかけ離れたものだった。
色摩拓也コーチもこう言っている。
「もっとやれたんじゃないのかな……途中で、なぜそのような判断をしたのかな、なぜそのようなプレーをしたのかなというのはポイント、ポイントで出ていました」
もちろん立て直せる時間は十分にあった。
しかし立て直しきれなかった。
相手が尽誠学園にそうさせなかったのではない。
自分たちで崩れていった。
それもまた尽誠学園らしくない。
しかし、ふと気づいたことがある。
今は夏だ。
インターハイでは初めてベスト8まで勝ち上がった尽誠学園だったが、彼らもまたほかのチーム同様、まだまだ発展途上だった。
負け方だって、発展途上なのではないか。
もちろん色摩コーチも、選手たちも、今日は勝つつもりで臨んでいたのだが、 “らしくない” 負け方だって、彼らにとっての大きな経験、大きな財産になるのではないか。
試合後、色摩コーチはこうも言っていた。
「ウチはだんだん練習が足りてくるような形でやってきていまして、夏よりも冬のほうがチームとしての成熟度もあるのかなと思います。今回初めてインターハイでベスト8に入ったことが、次のウインターカップまでにどのように生きていくのかが大事になってくるのかなと思います」
敗れてもなお期待してしまうのは、色摩コーチの「夏よりも冬のほうがチームのとしての成熟度があるのかな」という言葉に頷けるからだろう。
チームはいつもどおり、インターハイが終わって一度解体される。
今まで試合に出ている選手たちに安心感を与えないのと同時に、この夏のベンチで、応援席で、悔しい思いを抱えていた選手たちにもさらなる奮起を促すためだ。
そういえば、渡邊の代にもウインターカップ前の遠征にさえ連れて行ってもらえなかった選手がいた。
彼は結果として15人目のエントリーとして、ウインターカップに出場している。
それは、彼が自らのやるべきことを全うし、それが本選を戦うチームの力になると判断されたからだ。
失礼を承知で書けば、スキル的にはけっして15人目に入れるような選手ではなかった。
それにも関わらず、彼が入ったことでもチームはより成熟し、ウインターカップで2年連続のファイナルまで勝ち進んだのだった。
「負けたときに何も残らなかったな、ではなく、自分たちはやれることをやった、相手が強かっただけ、というような終わり方をしたい」
とは、色摩コーチがよく選手たちに伝えている言葉である。
そんな終わり方をするための日々が ── 同時にそれは、全力で日本一を勝ち取りに行くための日々が、また始まる。
そんな彼らの、これからの日々を思うと、今夏の尽誠学園らしくない負け方もまた、尽誠学園らしさを作る、大切な通過点だったのかもしれない。
文・写真 三上太