「東海大会の1回戦で負けていた3年前を思い出すと、みんな本当によく成長したなあと思います。あの子たちといっしょに積み上げてきたものはいっぱいあって、思い出を数えたらきりがありません。実は僕はこのウインターカップが始まるのが少し怖かったんですね。いえ、待ち焦がれていた夢の大会ですからもちろん出場が決まったときはものすごくうれしかったですよ。全力を尽くして勝ち上がりたいという気持ちも強くありました。だけど、始まったウインターカップはいつか終わる。終わるということは3年生が引退するということです。こんなこと言うとおかしいかもしれませんが、僕はそれが怖かった。言葉にできないほど淋しいに気持ちになるのがわかっていたから、それが怖かったんです」
語りながらこみ上げるものがあったのか、村田コーチの言葉が少し詰まる。「いやいや泣いてる場合じゃないですよね。3年生が主体だったチームは来年大きく様変わりします。新しい戦力を構築していくのは大変だと思いますが、僕らには3年生が残してくれた『全国大会の経験』という財産があります。その財産を大事にしてね、彼らの残してくれたこの財産を絶対無駄にしないようにまたここから頑張っていきたいと思います」
村田コーチのインタビューが終わった後のミックスゾーン(コーチや選手が取材を受ける場所)に現れた高橋は敗因を聞かれて「エースとして自分の力が足りなかったからです」と答えた。「(ベスト8を前に)硬くなったとか、焦ったとかそういうことより自分が力不足だったということだと思います。ただ、自分はこのチームですごく成長させてもらいました。それは間違いないです」
3年前横浜から岐阜に行こうと思った心境を尋ねると「やっぱりお兄ちゃんの影響が大きかった」という。「村田先生の下で頑張っているお兄ちゃんを見ていたらハードだけどすごく楽しそうで、自分もここで村田先生といっしょにバスケをしたいと思いました。その選択は間違っていませんでした。いいチームメイトにも恵まれたし、村田先生からはバスケだけじゃなく、周りへの感謝だとか人として大事なことをたくさん教えてもらいました、自分がポイントガードに挑戦して成長できたのは富田に来て村田先生と出会えたからです」
最後の年は夏、冬ともに全国の舞台に立てた。卒業しても大学でバスケットを続けるつもりだ。
「今日で高校バスケは終わってしまったんですけど、富田で過ごした時間は自分の中に残ります。それは絶対これからも自分の財産になると思います」
高橋の最後の言葉を聞きながら、ふと気づいたことがある。そういえば村田コーチも『財産』という言葉を口にしていたなあ。コーチと選手が別々に、だが、偶然とは思えぬタイミングで口にした同じ言葉。見る者にとって富田が “印象深い” チームの1つとなった理由はそこにあるのかもしれない。富田の初のウインターカップ挑戦はメインコートにあと一歩届かず終わったが、冬のコートにしっかり足跡を残した。それは積み重ねてきた時間をともに『財産』と呼ぶチームが刻んだ確かな足跡だ。
文 松原貴実
写真 日本バスケットボール協会