男子3回戦で金沢(石川)と戦った富田(岐阜)は前半38-32とリードしながら後半に入って大きく失速。チームの持ち味である息の合った連携プレーに “らしからぬミス” が出てターンオーバーから相手の得点を許す苦しい展開となった。「ベスト8が目の前にチラついたらちょっと硬くなってしまったかもしれません。僕自身が硬くなっていました。タイムアウトを取るタイミングを迷ったり、留学生(#6 モハメド・ナビ サール)を早く下げてしまったり。硬くなっていたというより僕が一番舞い上がっていたような気がします」。村田竜一コーチはそう言って苦笑いするが、富田にとって初めて出場するウインターカップはそれほどまでに大きな大きな夢の舞台だった。
横浜市出身の村田コーチは国学院大学でプレーした後、2年間埼玉ブロンコスに所属した経歴を持つ。が、当時から「教員になり若い選手を育てたい」という思いがあり、「そのために筑波大で体育教師の資格を取る勉強しました。国学院で取得したのは商業を教える資格だったので筑波の実習生として学び直したわけです」。その後、縁あって富田に赴任することが決まったが、岐阜高校バスケット界は岐阜農林から美濃加茂へと王者の流れが続き、その中に食い込いでいくのは容易ではなかった。しかし、#4 植田碧羽、#5 高橋快成を筆頭とした今の3年生たちが入学してきたとき「このチームにはチャンスがある」と感じたという。中でも村田コーチが「僕自身がファンであり、今の高校バスケ界で最も過小評価されていると思う選手」と言う高橋のスキルとメンタルは当時から群を抜いていた。高橋は村田コーチと同じく横浜市出身。その彼が無名の富田に入学したのにはこんな経緯がある。
「実は彼のお兄ちゃんが富田でプレーしていたんです。入学したときは144cm、33kgという小学生のような小さな身体で、それでも選手としてコートに立ちたいという強い意志を持って入学してきました。150cmぐらいになってから試合に出るようになったんですが、身体は小さくても負けん気が強い頑張り屋でした。そのお兄ちゃんの姿を見ていた快成が自分から富田に行きたいと言ってくれたんです。彼の能力からしたら地元の強豪校にも行けたはずですが、『自分は富田でバスケットがしたい』と言ってくれたんですよ。彼は1年のときケガが多くなかなかコートに立てなかったんですが、素質が図抜けているのはわかっていましたからチームのエースとしていかに育てていくかもコーチとしての課題になりました」
そして、3年目を迎えた今年、まずはインターハイ初出場をつかみ取り、続いてウインターカップの扉をこじ開けると、1回戦の松江西(島根)を120-90で撃破、2回戦では高知の名門・明徳義塾80-64で破る快進撃を見せた。エースの高橋はこの2回戦で24得点、14リバウンド、10アシストのトリプルダブルをマーク。ボールを手にした瞬間からゴールまで走るスピード、ゴール下で巧みにディフェンスをかわすボディコントロール、流れを読み味方に繰り出す絶妙なアシストパス、高いスキルに裏付けされたアグレッシブなプレーは見る者をワクワクさせ、「全国の高校バスケ界で最も過小評価されている選手」と語った村田コーチの言葉が説得力を持って響いた。