part3「1番下手な選手として自分がやるべきことはわかっていた」より続く
「これまで私は会うべきタイミングで会うべき人に出会ってきたように思う」と陸川は言う。それぞれのカテゴリーで良き指導者に恵まれ、その都度自分が持つ可能性を発見することができた。中でもNKKに初めて身体作り(ストレングスコーチ)とケアの専門家(アスレテックトレーナー)を置き、しっかりした強化体制を構築した藤本裕監督(故人)と進むべき道を照らしてくれたデイブ・ヤナイ(アメリカ在住)は「私の恩人」と言ってはばからない。「選手は機械じゃない。人間だよ」。「チャンピオンの山は、心の山と技術の山を登った先に見えてくる。まずは2つの山を登りなさい」──ヤナイから教えられた言葉は今も陸川の心に深く刻み込まれている。
東海大の監督に就任し、最初に掲げた目標は『インカレ優勝』
── NKKを退社してからアメリカにコーチ留学されました。その経緯は?
アメリカに行きたいというより、尊敬するデイブ・ヤナイさんに学びたいという気持ちが強く、彼がコーチを務めるカリフォルニア州立大ロサンゼルス校に行きました。NKK時代にも2度ほど指導に来てくださったヤナイさんは、コーチとして、人間として、私が非常に感銘を受けた人です。ロサンゼルスという土地柄もあり、チームにはアメリカの他、メキシコ、リトアニア、韓国、日本など肌の色も宗教も違う選手が集まっていました。まさに人種のるつぼといった感じです。忘れられないのはディションという選手。彼はアメリカの南部出身で、チームになかなかなじめず注意されるとうつむくような内向的な子でした。それで私はずっとその子に付き合うことにしたんです。
── コートの中、外に関わらず?
はい、なにかにつけて声をかけて、シューティングにつき合い、つたない英語で話をしました。ある試合で後半から出場し、大活躍して勝利した時がありました。真っ先にハグしてくれて「コーチのおかげだ」と言ってくれました。自分になにができたのかはわかりませんが、気持ちだけはちゃんと伝わったような気がしました。そのとき勇気をもらったんですね。これから日本に帰って、若い選手たちと向き合っていける勇気。アメリカでも心が伝わったんだから日本で伝わらないはずがないと思いました。