「でも、僕の大学バスケにはずっと華がなかったですね。同期の前田(怜緒)や星野(曹樹)や三浦(望)はみんな2年生ぐらいから試合に出ていたけど、自分の出番はまったくなかったし、悔しい思いばっかりしていました。このまま終わっちゃうのかなあと考えたこともあります」。チャンスが訪れたのは3年の秋。リーグ戦の初戦から起用された中川は持ち前の負けん気を発揮して得点を重ねる。「相手は専修と青学だったんですが、その2試合ともチームハイの得点を稼いだんです。自分らしいプレーができたのも良かったけど、1番良かったのは自信が持てたこと。自分でもやれるんだと思えたことが次につながりました」。それは白鷗大の監督が落合嘉郎(現仙台89ERSアシスタントコーチ)から網野友雄に替った年と重なる。「落合さんと網野さんは対照的なタイプのコーチで、ゼロから100まで細かく指導する落合さんに対して、網野さんは自分たちで考えることを重視する。僕は考えることが得意じゃないので苦労することもありましたが、ちょうど上級生になったときに網野さんが来て、考える力をつけてくれたのは良かったと思っています」。
4年になりキャプテンに就任した経緯を聞くと「ほんとは僕じゃなくてこいつだったんですけどね」と、近くの前田を指さす。白鷗大のキャプテンは毎年選手の投票で選出されるが、選ばれた前田が「俺はやらない。絶対綸にやってほしい」と言い張ったのだそうだ。「じゃあ、まあ仕方ないかと(笑)」。自分がチームをまとめるのに適した人間だとは思っていない。俺についてこい!と引っ張っていくタイプでもない。「どちらかというと、周りから“やんちゃ集団”と言われる白鷗のやんちゃの真ん中にいたのが自分で(笑)。なんとかやり切れたのは同期のみんなが力を貸してくれたおかげです。この1年、全員がキャプテンになって下級生を引っ張ってくれた。めちゃめちゃ感謝してます」
白鷗大は今年『春のトーナメント初優勝』という栄冠を手にし幸先のいいスタートを切った。が、その先に待ち受けていた思わぬ落とし穴。「7月にシェッハ(#75 ディオップ マムシェッハイブラヒマ)が前十字断裂の大ケガをしてしまったんです。あいつは同期だし、チームの大黒柱としてずっと頑張ってきてくれてたヤツだし、もう本当にショックでした」。だが、立ち止まっている時間はない。秋のリーグ戦に向けてチームの再構築が始まった。「もう1回チームを作り直すための練習はもちろんきつかったですが、僕はメンタルでのダメージが大きくてそっちがもっと辛かった。今まで経験したことがないような苦しい夏でした」。本当の意味でキャプテンの自覚が芽生えたのはそのときだったかもしれない。チームのことを考え、チームのために動く。「今まで後回しにしていたことも自分から率先してやるようになりました。このチームを勝たせるためなら何でもやりたいと思いました」
迎えたリーグ戦はシェッハが抜けた穴を埋めきれないまま7位に終わったが、4年生を中心に結束したチームは「まだ上に行ける可能性がある」と信じていたという。インカレでは3回戦で当たった青山学院大に前半7点のリードを許すも後半にはじりじり追い上げ72-71で逆転勝利。準決勝の専修大戦は66-76で敗れたが、中川自身は16得点、5リバウンドの活躍を見せた。苦しい夏を乗り越えた最後の大会の結果は4位。悔いがないと言えば嘘になるが、「出せる力は出し切った気がします。すごく楽しいインカレでした」。最後に白鷗大での4年間について聞いてみた。あなたにとってどんな4年間でしたか?「悔しいことや辛いこともいっぱいあったけど、最高の仲間とバスケができていい思い出もいっぱいできました。1番良かったのは目標に向かって努力することの大切さを知ったこと。人として少しは成長できたと思います」─── 答えた顔に再び笑みが広がる。「楽しかったです。僕にとって楽しくて、とても貴重な4年間でした」
文 松原貴実
写真 泉誠一