1991年、積水化学女子バスケットボール部は、名門ケンタッキー大学からドゥエイン・ケーシーをヘッドコーチとして迎える。その契約が成立する半年ほど前、バスケットボールを勉強するためにアメリカに渡っていた若かりし日の佐藤智信を現地で世話してくれたのが、ケーシーコーチだった。当時のケーシーコーチは、ケンタッキー大学のアシスタントコーチだったが、リクルート違反によりコーチができない時期でもあった。しかし、佐藤コーチにとっては有意義な時間となり、「ケンタッキー大学やいろんな高校の練習見学に連れて行ってもらいました」。
二人を引き合わせたのは、元日本代表の小浜元孝監督である。その経緯もあり、佐藤コーチがアメリカから帰国してまもなく、ケーシーコーチも来日を果たしたのが約30年前のことだ。
「当時、僕が何もしていなかったのを知っていたので、一緒に来るかとドゥエインコーチが誘ってくれました。そこからの付き合いですね」と3年間、アシスタントコーチとして支えた。ケーシーコーチは、いすゞ自動車のヘッドコーチとして迎えられ、そこからNBAへとステップアップしていった。佐藤コーチはさらに3シーズン、積水化学でアシスタントコーチを務めたのち、1996年より白鷗大学女子バスケットボール部のヘッドコーチに就任し、現在に至る。
互いにFAXなどで連絡を取り合い、佐藤コーチは毎年のようにアメリカを訪れ、指導を仰いできた。アシスタントコーチから着実に実績を積み上げていたケーシーコーチもまた、時間を見つけて来日してはNBAで行っている指導方法を直に伝授してくれた。2018年のNBAコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞しても、「変わらずにこうして来てくれることがうれしいです」とその絆は変わらない。
細かい部分を指摘=練習中から細部まで選手を見ている証拠
2016年に続き、3年ぶりとなる白鷗大学でのクリニック開催となったが、昨年2月には女子バスケットボール部がトロント研修を実施し、そこでもケーシーコーチからクリニックを受けていた。軸丸ひかる(4年)は、「佐藤監督がドゥエインコーチを師匠と言うとおり、同じように細かいコーチングをしてくれています。でも、ドゥエインコーチはもっと細かいです」と感想を述べる。例を挙げれば、「3Pシュートを打つことは大切だが、その前の過程がもっと大事だと指摘されました。パスが少しでもズレただけでシュートの確率も変わってくるので、一つひとつのプレーの精度が大事だ、というところからはじまって、さすがだなと思いました」と言い、そこを徹底できるかどうかで今後のプレーが変わってくると感じてもいた。
佐藤コーチ自身もクリニックを通じて、「ディフェンスでの細かい部分は刺激になりました。でも一番は、NBAのヘッドコーチが日本の学生に対しても、やっぱり細かい部分を丁寧に指導してくれたことであり、指導者として本当に忘れてはいけないことです」と原点を思い出していた。指摘できるということは、それだけ選手をしっかり見ていることのあらわれである。何よりも、今回のクリニックでケーシーコーチが披露したメニューは、日本の多くのチームでも取り入れているはずだ。