1部の神奈川大学に冷や汗をかかせ続けた。前半は35-42と7点ビハインドで折り返す。このトーナメントにおいて上位vs下部リーグの対戦は初顔合わせとなり、前半は接戦になるケースは多い。後半になればしっかりアジャストし、自力に優る1部チームが引き離していくのが常である。
「能力的には3部の中でも低い方です。高さもないので、とにかくディフェンスではチームで守ろう。そこにプライドを持って取り組んでいます」と板倉ヘッドコーチは鍛えてきた。神奈川大学に引き離されそうになってもそのディフェンスでハッスルし、諦めずにボールを追いかける。エース#12中澤海斗(2年)が苦しい場面でもスコアしていく(※この試合で35点をマーク)。キャプテンの増子がチームを盛り立てたが79-84、5点及ばずにアップセット(番狂わせ)は起きなかった。試合直後、悔し涙を流す増子の姿に青春を感じる。
「格上の神大だったからこそ、自分たちの力を引き上げられました。必死にやるしかないというメンタリティになったからです」と板倉ヘッドコーチは接戦となった要因を挙げた。同じ集中力で「3部リーグでも徹底できれば、違うレベルのチームになれる」と手応えも感じている。今シーズンの目標は3部リーグ全勝優勝であり、2部リーグへの自動昇格を目指す。
11年間の現役時代の経験をエッセンスに取り入れながらコーチング
「東京アパッチのとき、28歳の頃に大学でバスケを教えたい」という思いを抱いた。その後、大学院へ進んでコーチングを学び、「念願叶って今があります」と玉川大学ではじめて指揮を獲る。
能代工高から法政大学を経て、東芝ブレイブサンダース(現川崎)へ入団。天皇杯優勝にも貢献した。三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現名古屋D)に移籍し、その後はbjリーグの東京アパッチにドラフトされる。千葉ジェッツ、埼玉ブロンコスとbjリーグを渡り歩き、NBLのトヨタ自動車アルバルク(現A東京)を最後にユニフォームを脱いだ。すでに大学院に進んでいたトヨタ自動車でのラストシーズンは、高いレベルのコーチングを学ぶためでもあった。
「11年間プロの世界で現役時代を過ごしてきましたが、いろんな外国人コーチのフィロソフィーや素晴らしい日本人指導者にもめぐり会うことができました。その経験を自分の中のエッセンスとして今は取り入れています。自分の型というのはまだありませんが、とにかく大学までには学んでおくべきファンダメンタルだけは教えよう、というテーマで指導しています」
これまで学んだ様々なコーチの教えを引き出しとしながら、「その財産を切り崩すのではなく、そこをベースにもっともっと勉強して上乗せしていかなければいけないです」と選手たちとともに日々成長するための努力を続けている。
2部昇格へ向け、「大学バスケは自滅しないチームが上位にいます。簡単にミスしてしまい、一気に流れが変わることが多いです。神大はそれが少ないからこそあのサイズでも1部で戦えており、お手本となるチームです」と敗れた相手から学ぶことも多かった。主力となる1・2年生が中心となり、玉川大学に新たな歴史を築くために残った3・4年生がチームを引っ張る。ステップ・バイ・ステップでの昇格に期待したい。
プロ経験ある指揮官たちの挑戦
前編 玉川大学・板倉令奈ヘッドコーチ
中編 江戸川大学・粂川岳勤ヘッドコーチ
後編 東洋大学・佐藤信長ヘッドコーチ
文・写真 バスケットボールスピリッツ編集部